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青春のコパン

峰岸達(イラストレーター、MJイラストレーションズ主宰)
1965年~在籍

若い頃だけでもいろいろなことがあったので「コパン」の話だけに絞ろう。イラストレーター志向の強いセツの仲間4人でグループを作り世の中に打って出ようと考えた。1人でやるよりグループの方が目立つのではないかと思ったからだ。

アイビーにいちゃんから長髪にいちゃんに変わろうとしていた1966年秋のことだった。柳生弦一郎23歳、宮本勲22歳、池田和弘(後にあだ名のBOWがペンネームに)20歳、そして、ぼく峰岸達22歳であった。グループ名はセツ先生が「アトリエコパン」とつけくれた。コパンとは、フランス語で仲間という意味。しかし、イラストレーション志向の人間ばかりなので、のちにアトリエという絵画っぽい言葉を外し「コパン」と名乗った。世田谷は池尻、目黒川沿いの洋館風の家の2階、2部屋を借りた。12畳くらいの板の間の部屋と6畳の和室。12畳はみんなの共同の仕事場。弦一郎は6畳に寝起きし、ぼくは12畳の片隅にベッドを置きそこで寝起きした。宮本とBOWは都内に家があるので家から通っていた。

しかし、弦一郎の絵へののめり込み方は、凄かった。四六時中何か描いている。夜中、寝床に入ってからもまだ描いている。軽く鉛筆でというのではない、インクを枕元に置きペン画の練習をするのだった。セツ生ではないが鈴木康司(現絵本作家のスズキコージ)と知り合い、しょっちゅう遊びにくるようになった。自らをコージズキンと名乗る19歳だった。明け方どこから忍び込むのか、いつの間にかぼくのベッドにもぐりこんでいる。狭いベッドに男2人、彼は何日も風呂に入ってないので、汚いったらありゃしない。その後、何故かコパンの拠点は短期間に池尻か荻窪、四谷と点々とする。

その頃はイラストレーションの勃興期で、メディア(特に雑誌)が若手イラストレーターを欲しがっていたこともあり、コパンメンバーそれぞれに仕事が来るようになる。当初の狙い通りグループでやっているのが功を奏したと思う。弦一郎は「平凡パンチ」で五木寛之の連載小説「青年は荒野をめざす」の挿絵を担当し、コパン結成1年後、なんと24歳で講談社のさしえ賞を受賞する。ぼくは23歳になったばかりの頃「平凡パンチ」で時の人だった伊丹十三の生活を、7、8ページ(?)の絵と文でのイラストルポをやった辺りから、仕事が増えていった。

ある日、弦一郎が「俺グループでやるより1人でやる方が・・・」と言い、コパンを抜けた。変わりに鈴木康司が入った。この辺はとてもあっさりしていた。人それぞれの生き方があると思っていたもので、5人ともなんのわだかまりを持たなかった。

(つづく)

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  1. 内川 瞳 より:

    またまた星先生より先に一番乗りのコメントになっちゃいます!爆笑。
    アトリエ コパンは後にCopánコパンだけになったのですね?この絵、みなさんよく似て楽しいですね。思い出しました、皆さんのニックネーム兼ペンネーム。柳生弦一郎さんと峰岸達さんはニックネーム無し。私より後輩の女の子が、とおるちゃんと呼んでましたけど。BOWとかQポンとかコージーズキン。思いだすと風景が見えます。あの頃のセツモードセミナーは校舎もまだ新しく瀟洒な建物が一際、変わったカッコいい人達の通う場所で、そこに通う事が、楽しみになってました。
    セツインというパーティで着物の女装をした峰岸さん。セツ先生が峰岸くんが凄く綺麗だから見ておいで、なんて言ってキャッキャッ喜んでましたっけ!セツインも外部から色んな人が来て盛況だったのに近所からの苦情で翌年までで終わってしまいました。楽しい事を考え出すセツ先生のセツモードセミナー。皆んなそれぞれの時代で楽しんだ思い出が有る私たちセツの門下生に共通の私のセツ物語は、個人的には弛まないで居ながら繋がってるってのが良いですね❣️
    峰岸さんは後輩の男の子たちの面倒も良く慕われていたようであの人もこの人も世話になったと聞いてます。そう言えばわたし達入学して間もなくだったと思うけどアトリエに遊びに行かせてもらいましたっけ
    。まだイラストレーターになれるかどうかも分からない頃の遠い昔の話がついこの間のように脳裏に蘇るなんて素晴らしい記憶です。私は過去は振り返えることが楽しい人生だったと思える事で生きてる実感を感じるタイプで、未来より大事かもしれないと思っちゃいなくもないけどやめられなくもない。何を言ってるか分からなくなったので、。、まだ続きがありそうなので第4も楽しみにしてます〜微笑。
    あ、それから、美少女だったなんてかいてくださって、嘘かよ、本当かよ、と嬉しく感動しました。

    • 匿名 より:

      御免なさい、ちゃんとイラストにも出てるのにCOPAINのスペル間違って変換してしまいましt。訂正してお詫びしまちゅ。

  2. 星信郎 より:

    スズキコウジはセツの生徒でもないのにセツ中の有名人。バイトでデッサンのモデルをしたり沢山仲間をつくっていましたが、、、ちゃっかりとコパン入りのズキンちゃんでしたね。

    後にマガジンハウスの社長になった赤木さんの話によると、セツの生徒は依頼された自分のイラストレーションを届けにくるときには、いつも友人を連れだって紹介し友人の作品まで売り込みをするのが不思議で編集部の噂になってたそうですよ。 そのとき思いました、それはコパンの連中ではなかったかなと、セツモードセミナー大繁盛はコパンから‼︎ ちょっと褒めすぎかな?
    それにしてもこの、1967年9月コパンのイラストレーションはまことに傑作です。

  3. 峰岸 達 より:

    瞳ちゃん、また一番乗り、やったー!

    名前のことなんだけど、弦一郎はペンネームで本名は正博なんだよね。
    このセツ物語でぼくは弦一郎と書いているいるけど、実際は弦ちゃんと呼んでる。
    友達はみんな弦ちゃんと呼んでいたね。
    宮本は音読みにしてQポンなんだけど、ぼくはこの呼び方に馴染めず、ずっといまでも宮本(みやもと)と呼び捨てにしてる、同い年なんで。
    VOWはボーボーっていびきをかくの、それでぼくがボーってあだ名をつけたら、かっこよくアルファベットで自分でVOWにしたの。
    鈴木康司はコージズキンとも名乗っていたので、ぼくらはみんなズキンと呼んでたね、今もそうだけど。
    ぼくのことはズキンが峰さんと呼ぶようになって、弦ちゃんもも峰さんと呼ぶようになったけど。とおるちゃんとかとおるくんとか呼ぶ人が
    いる時代もあったなあ。宮本は確かとおるくんと呼んでたね。
    BOWはぼくより2歳年下のくせに峰岸って呼び捨てにするの、あいつは生意気に高校生の頃からセツに来てたので、セツではぼくの先輩なの。
    でまあ、しょうがないかと思っているの。
    こんな話どうでもいいよね、でも瞳ちゃんが呼び名のことを書いてたので・・・。

    星先生、毎回コメント、ドーモドーモセツモード!

    そうなんです、ズキンは生徒でもないのに遊びに来てるだけなのに定期券買ってた。
    モデルやらされるとヘンなポーズばっかりしてね、「おひけえなすって」の仁義切るポーズとかね。

    そうなんです、ぼくらはよく仕事紹介し合っていたなあ。
    赤木さん懐かしいなあ、そうだ、伊丹十三のイラストルポの前に「平凡パンチデラックス」(月刊誌)で1ページの若者の遊び場のイラストルポの
    連載の仕事をくれたのが赤木さん、恩人ですね。ちなみに伊丹十三のイラストルポの担当は後にテレビ「トゥナイト」の司会をやってた有名編集者
    石川次郎さん。みんな恩人です。

  4. 平岡 淳子 より:

    MJ、峰岸さんのイラストレーション塾のみなさんは、もちろん峰岸先生と呼びます。
    お会いして間もない頃、峰岸先生と峰岸さんとどっちがいいですかって訊いてみました。
    峰岸さんでいいよって、それからは迷わずに峰岸さん。
    ご縁があって、月に数回お会いするようになって、峰岸さんへの
    日々の愛が積み重なって、仲間内では峰ちゃんがね・・・なんて話すようになっています。
    峰ちゃんって、とってもおしゃれよねぇ・・・。
    峰ちゃんって、いまとっても優しいよねぇ・・・。
    峰ちゃんファンは、話が続いて止まらなくなるのです。
    最近わたしは、絵を描くようになり、やっぱり峰岸先生ってお呼びしようっておもってますよ。
    今回もとってもたのしいセツ物語でした。次回も期待しちゃいます。

  5. 宮内カナ より:

    峰岸先生、こんにちは。
    コパンのお話、若いエネルギーの爆発するような熱気が感じられます。
    夢と志を持った若者たちが、共同生活しながら、世の中に打ってでていく、なんてかっこいい、そして楽しそう。毎日が輝いていたんだろうなって思います。
    そして、夢をしっかり叶えてらっしゃるのがすごいです。皆さん早い時期からイラストレーションのお仕事されてたんですね。
    このチラシのイラストレーション、ユーモアがあってかわいいですね。そしてキャッチコピーもこってますねー

  6. 内川 瞳 より:

    わぁ!そうでしたね?柳生さんはゲンチャンでした。BOW はイビキのボウボウだったのは初耳。星先生に聞いたら、多分ボウーしてるからと聞いたような気がします。笑。でもそれをかっこよく自分でBOW にしたのは、やはりナルちゃんだったのですね〜!イラストのギターで思い出しましたが、セツ先生の第1回モノセックスショーではBOW 池田君は弾き語りで歌ったんですよね!思い出しました。かっこよかったです。
    あと峰岸君は(あ、またクン呼ばわり)博士(はかせ)とも呼ばれてましたよね〜当時のNHK人気人形劇、”ひょっこりひょうたん島”のリーダー格の男の子。あまり見てなかった番組だったけと、なんかピッタリだと思いました。
    当時はコパンの中では峰岸さんがリーダー格で一番目立ってかっこよかったです。それに、隠れ優しさで人望もあり。私より1つ先輩の奥様がいつまでも若く美しいのはその賜物なのでしょうね。決しておせいじじゃありゃしませんのです。
    あと宮本さんはセツに入る前は
    “お笑い”を、やりたかったとか?聞いたことがあります。なんとなく、すごくわかります。笑。
    ユニークなところではやはりゲンちゃんとコージーズキンでしたね!あの憎めないキャラは何処から生まれたのか?と、今更また思い出します。

  7. 小牧真子 より:

    第3話、すでに楽しく読ませていただきましたが、
    最終話を読む前にもう一度リピです。

    イラストレーションに夢中だった日々、そうとう楽しい時間だったと思います!
    四六時中、イラストレーションに仲間と没頭する毎日に憧れてしまいます。

    夢のような現実、セツはそれが当たり前だったのでしょうか。
    本当に大切な場所であり、セツ先生のすばらしさを感じます!

    それでは、いよいよ第4話へ
    ワクワクします〜!

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