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白亜の校舎

峰岸達(イラストレーター、MJイラストレーションズ主宰)
1965年~在籍

その後もずっと変わらなかったと思うけれど、授業は、圧倒的にデッサン(クロッキー)の時間が多く、先生も上級生も新入生もみんな混ぜこぜになって行う。
   直ぐに男女関わらず友達が何人もできた。常勤のまだ若かった星信郎先生、小泉寛明先生は2人共フランクな人柄で、すぐに打ち解けた。セツ先生も以心伝心というか、すぐに親しく接してくれた。
   勉強はともかく、とにかく学校に行くのが嬉しくて楽しくて仕方なかった。都電に乗っていて高樹町が近づくと胸がわくわくしてくるのだった。それまで学校に行くのに胸がわくわくするなんてことは1度もなかった。
   勉強が嫌いなくせに保守的な男ばっかりの進学校に入ってしまい、学校に行くのが   嫌で仕方なく、勉強しないでさぼってばかりいて定時制でもないのに4年も通う惨憺たる高校生活を送ってきた。まあ、これは自分が悪いんだけれど。セツ・モードセミナーと県立高崎高校は、ぼくにとって天国と地獄みたいなものだった。

入学して約半年後、何と新宿区舟町にみなさんおなじみのあの白亜の立派な校舎が完成したのだった。山の分教場(別名寺子屋)から、白亜の校舎への引っ越しの日には、ぼくら生徒が椅子やら画板やらを小型トラックに積んだり下ろしたり運んだりした。白亜の校舎も楽しみだったが、馴れ親しんできた山の分教場を離れるのは、ちょっぴり寂しかった。
   そもそもぼくがセツに入りたかった要因には、アイビー兄ちゃんだったぼくにとって、ジャパニーズアイビーの始祖穂積和夫さんが先生をしていること、イラストレーター目指してまっしぐらだったぼくにとって、イラストレーターの入門書を書かれていた河原淳さんが先生をしていることもあげられる。穂積先生は授業がなくてもよく遊びにきて、こちらも以心伝心ですぐに親しくさせてもらうようになった。
   当時、セツには毎日通う1年コースというのがあり、ぼくはその1年コースだったので、あっという間の卒業だったが、その後に研究科があり、もちろん研究科に入った。

卒業間際の頃、「MEN'S CLUB」の女性版で「MC SISTER」というのが新発売されるということで、新人イラストレーターを探していて「MEN'S CLUB」レギュラー執筆者の穂積先生から推薦され「MC SIST48ER」創刊号に起用され初仕事をした。
   2色の見開きぺージの3分の2くらいのスペースを与えられた。広場にアイビーボーイ、アイビーシスタ-が大勢たむろっているといるイラストレーションをマンガチック(和田誠風)に描いた。若干21歳の春だった。
  規定文字数をとっくに超えてるのに、まだセツに入って1年目のことまでしか書けてない。後に講師になったので、セツと関わって約40年、次回、3回目はどうしよう。セツ・モードセミナー青春篇と言うことでしめくくるしかないかな。

ここに載せた絵は、文章に書いた時代よりずっと後の1986年に「野生時代」(何月号かは不明)に描いたもの。

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  1. 内川 瞳 より:

    峰岸さん、こんにちわ〜
    最近はお目にかかりませんが、やっとセツ物語登場で、嬉しいです。
    前回のはコメントしそびれちゃったので、今回は真っ先に失礼しま〜す!
    私がセツに通い始めた頃は既に峰岸先輩はイラストの仕事もしてアトリエ コパンのグループ名で皆んなカッコよい先輩達でしたね?
    黒縁の眼鏡があれほど似合う人は居ませんでした。お洒落でインテリ風でミーハーでアイビーもコンチネンタルファッションも遊び感覚で着こなし、ぴょんぴょんロビーの階段を上がってくる軽快な風情がカッコよかったでふ。
    そんな先輩やお洒落なお姉さま達のタムロするセツモードセミナーはいつのまにか私も染まって行きました。良い刺激を受けながら楽しい時代を過ごして来れた事はセツ先生を取り巻く全ての人々と共に今でも突然色々なことが、昨日のこと様に思い出します。
    好奇心は好奇心の目を向けられてこそ満足できるものですね、なんて突発的に浮かぶ言葉も あそこで学んだ何らかの影響です。
    昔峰岸さんがフェアレディーに書いてた10人以上集まるパーティには行かない、とか物も高いとキライ とか、私はその言葉チャッカリ頂いてます。第3弾も楽しみにしてま〜ふ。

  2. 川井純子 より:

    こちらの絵も本当にとても素敵ですね。
    さすが峰岸先生の絵だなぁと思いました。
    階段に当たる日の光が好きです。
    壁に反射する感じがにくいです。
    黄色のシャツの青年も。。。
    先生かな。。。
    青年の形がカッコいいです!

    最初は山の分教場のようなところで、寺子屋みたいだったんですね。
    あとからあの建物は建ったのですね。
    先生の文章を通して当時の匂いのようなものを感じられて嬉しいです。
    長沢セツさんの本はいろいろ買い漁って読んだりしていました。
    お会いしていたらどんな方だったのだろう〜。
    第3回目も待ち遠しいです。

  3. 平岡 淳子 より:

    アイビー兄ちゃんの峰岸さん、
    若干21歳の峰岸さん、
    瞳さんのコメントでさらに、ぴょんぴょん躍動する映像がみえます。

  4. 星信郎 より:

    寺子屋セツモードセミナーが麻布高樹町から新宿舟町へ引っ越すころは、日本国もセツも僕たち生徒も、まだまだみんなが貧乏で、引っ越し業者なんてなかった時代、イーゼルや画板や粗末な椅子やら小型トラックに山と積んで、男子生徒が大奮闘であったよね。まさに男はつらいよ!であった。

    そのころには穂積先生はイラストレーションばんばん描きまくり、小型車スバルに乗ってたのが羨ましく思った。 僕の初仕事も穂積先生の紹介で婦人画報、週刊平凡など。感謝感謝でしたよ。

    峰岸君はそのころ井の頭線 富士見ケ丘駅、高野アパートでしたね、僕は静かでシブイ町 吉祥寺のおんぼろアパートでした。

  5. 小牧真子 より:

    先生の絵を見て、すごく懐かしくなりました。
    とっても懐かしい白い建物と階段。
    関西から上京してお金を貯めて働きながら通える余裕ができたら
    絶対にセツに入ろうと中学の頃から決めていました。
    この階段を登ったり降りたり、こんな日差しの日もありました。
    階段を登る人の後ろ姿を見かけることもありました。
    ちょうどこの絵のような風景。
    こんなに共感が次から次へと溢れてくるなんて
    峰岸先生はやっぱりすごいです。

    セツに通っている間、ここだけ日本じゃない錯覚に何回もなりました。
    たぶん、フランスのどこか、パリの路地裏の気分でした。
    風景だけでなく、中の様子や雰囲気、先生や生徒さんたち、カフェオレ、画用紙、いろいろ全部です。

    アイビー兄ちゃんだったころの写真を拝見してみたいです。
    1回目のコメントにありましたホステスの女装まで・・・
    20代にセツを経験されていらっしゃるのはうらやましいです。青春桜花ですね。

    最終回、卒業を迎えるアイビーにいちゃん、峰岸青年の未来が楽しみです!
    朝の連ドラみたいに待ち遠しくなってきました。

  6. 峰岸 達 より:

    遅くなりました。瞳ちゃん、川井さん、平岡さん、星先生、小牧さん、コメントありがとうございま~す!

    瞳ちゃん、ごぶさた!そうだね、瞳ちゃんがセツに入って来たのは、まだ5年くらい前のような気がしなくもないってのはオーバー過ぎるけど(実際は×10)。まったく名は体を現す、の言葉通り顔の面積の半分が目(瞳)の美少女だったね!
    内川さんなんて呼ぶ人間は誰もいなくてみんなが瞳ちゃんて呼んでました。

    川井さん、あちこちにコメントありがとう!川井さんはぼくがやってるイラストレーション塾MJイラストレーションズのもう何代目になるのかな、
    現在の名アシスタントです。

    平岡さん、うちの妻に言わせるとぴょんぴょんじゃなく、どたどたとエラソーに階段を昇って来た、と今も責められます。
    そうなんです、ぼくはあの頃すでにセツに恐いもんなしで、エラソーなヤなやつだったんです。ちなみにうちの妻は瞳ちゃんの1年先輩。

    星先生、高野アパートじゃなく、高野荘ね。板張り(今だとフローリング)の5畳くらい(4畳半より心持ち広い)で、ベッド(生意気に作り付け)と
    半畳くらいの物入れ(クローゼットとはよべるわけない)しかないトイレも水道も共同の家賃5千5百円のアパート。

    小牧さん、MJ現役最古参になったね。途中休学があったけど、MJに入ってもう10年だよ。国立広島大学数学科出て、
    今は「MJイラストレーションズブック」の会計係。青春桜花じゃなくて謳歌ね。おっちょこちょいでおしゃべりでサザエさんみたい。
    いろいろ気を遣ってくれてありがとう。

  7. 浮世さやか より:

    MJイラストレーションズ23期浮世です。 MJサイトの方と迷いましたが折角なのでこちらにコメント致します。
    セツモードセミナーの存在は閉校の数年前に知りました。好きな画風で私もかけるようになりたい、というより授業そのものが楽しそうという印象を受け、いつか東京に行って通いたいと思っておりました。既にセツ先生はいらっしゃらなかったのですが…。

    このようなサイトがあること、初めて知りました。やっぱりセツ出身の方の描かれるものはとても好みで、一気に過去記事を読めました。通うことはできなかったものの、考え方やエピソードを知ることができる場所があるのはありがたいです。

    それにしても先生、入って間もない時のこともとても鮮明に覚えてらっしゃってすごいです。それほど良い体験だったのだなぁとしみじみ思います。その代わり時間がなかなか進まない…!笑。回数が多くなっても良いので、これからの記事も楽しみにしています。

  8. 鈴木実千代 より:

    MJ 21期生、鈴木実千代です。
    コメント遅れてすみません。

    私もセツ先生には沢山の事を教わりました。(年齢がバレちゃう~!)
    なので、ちゃんと襟を正して読まなくちゃとか、玉手箱を開けてしまうようなドキドキ感があって…「バカだね~お前」とセツ先生に笑われそうですね。

    セツモードセミナーが山の分教場みたいな所だったのは初耳でした。

    MJ での脱線ばなし、実は楽しみなんですが、文章もさすがだなぁと楽しくいっきに読みました。
    この秋のお仕事はまさにうってつけなんだなあと思えました。

    セツモードセミナーの伝説やエピソード、もっともっと先生の言葉を通して知りたいので残り1回は残念です。でもまた次回も楽しみにしています。(ゴメンナサイ、誤字があるのですが何故か削除できません)

  9. 峰岸 達 より:

    浮世さん、実千代さんコメント、ドーモドーモセツモード!
    浮世さんあのね、セツ先生がいて、星先生がいて、穂積先生を始めセツ出身のイラストレーターたちが何人もゲスト講師(憚りながらわたし峰岸も)に
    来ていた時代のセツと、キミが入りたいと思った時代のセツは全然別物だよ。
    だからぼくは自分のプロフィールにに”良き時代のセツ・モードセミナーに学ぶ”って書いていたんだよね。
    でも、もうセツは閉校になっちゃったので”セツモ・ードセミナー卒”って書く事にしたけどね。
    実千代さんは、セツ先生に間に合って良かったね!

  10. 宮内カナ より:

    峰岸先生、こんにちは。
    遅れてのコメントで失礼します。
    私はこの校舎に、セツ展で入ったことがあるだけですが、作品と建物の美しさ、おしゃれさに圧倒されました。
    そして、先生の絵、とてもおしゃれできれいです。陽の黄色が美しいですね。

    そして、先生の青春時代がすごく羨ましくなりました。
    学校に行くのに、毎日、わくわくする気持ちになれるなんて、なんて素敵…
    ここが先生の原点なんですね。続きも楽しみにしております。

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