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「デッサンは紙の上に描く彫刻」

大熊麗(販売職)
1990年~1995年在籍

私は、新卒で入った職場でつまずき、絵をやれば心が豊かになれるだろうと考え、学校を探した。油絵を習いたかったが、偶然、別の二人の知人からセツを薦められて応募することにした。

二度落選して三度目に無抽選で入学させて貰った。

学校案内の表紙の写真写りから「厳しい方なのかな?」と想像したが、セツ先生は、入学式で初めて対面する私達に愛情いっぱいの眼差しを向けてくれた。
  この時、先生の仰ることは一言ももらさず聞き取り、素直に受け止めようと思った。

バブル景気の真っ只中、昼間働いて駅でドリンクを飲み、学校へ通うという地味な生活を送った。

セツ先生は、
  「デッサンは紙の上に描く彫刻」
   と仰った。毎回ぐるぐるとモデルの周りを回って「きれいだな」と思うところを見つけて描いた。それを研究科になっても実直に続けた。
   先生が現れると、一瞬で教室の空気が変わり、自分のやる気につやが出る。
   こっそり後ろから先生が描いているところを覗いて見たりもした。
   セツを出て数年後、別の所で美術を学んだ。粘土でクラスメイトの頭部を作った時、初めてなのに360度写し取るように作れたのには自分でもびっくりした。先生の仰っていた通りだとわかった。

「きれいな色というのははない。美しさは色と色との組み合わせで決まる。」
   初めはわからなかったが、やっていくうちに自然と感覚的にわかっていった。

先生と一緒に行きたくて、コツコツお金を貯めてヨーロッパ旅行へも参加した。
   ある晩、夕食で先生の隣の席になり、緊張し、気を遣って色々話しかけると…、
   先生が一言、
  「うーん、もう喋んなくていいよー。」
   と仰って下さった。私は「ほっ」として喋るのをやめた。
   相手に気を遣わせないことの大切さを教えて戴いた。

研究生になり、土曜日の昼間、学校へ行くと、帰りに試写会から帰っていらした先生とすれ違う事があった。
  「先生こんにちは!」
   と言うと
  「あいよー!」
   と愛情たっぷりに答えて下さった。

ファッションショーの時、一人一人に「詰めて詰めて」と仰って、皆が座れるようにして下さった。

合評会で絵を並べる時、後ろの絵を遮るように置いてはいけない。
  「自分さえ良ければいいというのは、一番よくない考え方だ」
   と仰った。

友達になること。
   おしゃべりを楽しむこと。
   軽くて上品であること。
   おしゃれをすること。
   お金をかけなくても楽しく生きられること。

絵の上達云々なんて一言も言われなかった。

セツは、バブル期の厳しい時代に私を包んでくれた。

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  1. 星信郎 より:

    大熊麗さん、 あなたは本当にクジ運が悪かったんだね。最初の一回で当たってしまう人も沢山いなか、よくぞ三度も。それまでして入っただけに先生のさりげない教え方を、あなたは充分受け止めてるように思われます。
    旅行の時の様子がリアルに伝わってきて思わず笑ってしまいました。

    すっきりとシンプルな刺繍による表現は先生の立ち姿、後方にちらっと見える廊下によれば、どのアトリエかも僕には分かって懐かしい。

    デッサンの時によく言ってた先生の言葉、特に顔のデッサンでは人間の〈不条理〉を語っていましたね、そして「必ずしも絵を職業としなくともいいから美の分かる人になりなさい」そのことを加て置きます。

    はじめはコメントを入れる欄が開かれてなくて遅くなりました、ごめんなさい。星

    • 大熊麗 より:

      星先生、こんにちは。
      ご感想をありがとうございます。

      二度も落ちたのに諦めずにいたのは、三度目は無抽選で入学できると知っていたからです。
      抽選なんて面白い制度でしたよね。
      だから魅力的な人が集まって来たのかもしれませんね。

      「必ずしも絵を職業としなくともいいから美の分かる人になりなさい」
      もしかしたら、この言葉がずっと私を支え続けてくれているのかもしれません。
      私は絵描きにはなりませんでしたが、いろんなものの美しさや良さを感じられる時、喜びを感じています。

      実は、私は以前、伊勢丹のエスカレーター前でお声をお掛けした者です。
      ギャラリーにいらした帰りだとおっしゃっていました。
      あの時は、色々お話できて嬉しかったです。
      またいつかどこかでお目に掛かれれば、と思います!

  2. 私のセツ物語の1ファン より:

    明るくて、キレイな色のシャツとパンツの組み合わせ。
    セツパッチの縫い目も先生こだわりのこのラインで。
    セツ先生の立っているドアの向こうの窓や置いてある椅子の位置までも、私が見ていたセツでのいつもの景色を、そのまま再現してくれていることにちょっと感動しました。
    私の記憶はぼんやり曖昧で、描こうと思ってもこんな風には形にならず。なので、大熊さんは写真を見て作ったのか?記憶だけで完成させたのか?すごいなあと思っていました。
    そんな大熊さんが書く物語のセツ先生は、やっぱりとってもリアルに目に浮かぶようで、
    自分の知らないいろんな場面のセツ先生に出会えたような。
    いっぱい大事な言葉を聞けたような感じがします。

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