いまや、思い出を語るトシになったのかなあ、とシミジミ ……。
私が高樹町のセツ・モードセミナーに入学したのは、そもそも勉強ギライで、オシャレとお絵描き大好き少女だったから ……。憧れのセツ先生にはじめてお目にかかれる日は、ワクドキッワクドキッ、頭の中はセツ先生一色で、なにかひとことお言葉をもらえるとウレシクて …… 意味不明にセツ先生のまわりを、ウロチョロしてたっけ。
先生は、いつも姿勢がよく、笑顔がステキで、ニコニコしながら、「コラッ、不良少女 !」って、声をかけてくださるのでした。先生のご託宣は、私のすべてだったなあ ……。
Xmas パーティは、先生の東長崎のご自宅で、先生、手づくりのマトンシチューを振舞ってくださり、踊ったり、オシャベリしたりの美味しくて楽しくて賑やかな夜でした。
入学して1年目の春、水彩連盟展スタイル画部門で「婦人画報賞」をいただき、うれしかった ! 一緒に受賞した仲間たちと、セツ先生を囲んで銀座の光蘭亭で会食をして、ワイワイ盛りあがって楽しかったなあ ……。
その頃私は、六本木族といわれた「野獣会」のメンバーに。TVに出たり、東京タワーでパーティやったり ……。野獣会の仲間のクニオは、セツ先生の大のお気に入りのモデルで、よく一緒に行動しました。ある日、クニオと彼のガールフレンドと私の3人は、先生のお部屋に招かれて、ベッドのうえに並んで、オシャベリをするという光栄にも浴したのでした。
セツ先生は、東宝映画の「銀座のお姐ちゃん」の衣装デザインを担当していて、撮影所から、遊び場からの産地直送のカンジの子たちを、エキストラに紹介してほしいと頼まれたということで、「オマエたち、アルバイトで、エキストラをやったらどう?」とおっしゃるので、渡りに舟と、野獣会メンバーたちと撮影所へ。遊び半分で、バイト代稼げるわ、スターたちに会えるわで、オモシロそーってカンジ …… 。 (つづく)
オイワさんと、当時にタイムスリップ!みなさんの姿が、ありありと浮かびます。
本当にセツ先生のお近くにいらしたんだなぁ…。
私は、セツ先生がいらした頃の、ほぼ最後の卒業生でした。セツ先生を遠巻きに眺める事しかできませんでしたが、ニッコニコの笑顔と、ほっぺをつまんで下さったのがとても嬉しかった思い出です。デッサンの描き方がわからなくなった時には、先生が描くデッサンを後ろから覗き込んだりしたのも、当時としてはとても自然な流れ。今思うと、とても貴重な時間でした。
イラストも格好良い!
つづきも楽しみです。
池袋東長崎のセツ先生自宅は例の池袋モンパルナスと言われた あまり広くもないアトリエ兼住居が懐かしい、屋根裏部屋が狭い和室でコタツ囲んでデザイナーの中島弘子さんたちと七並べをした、そのころセツ先生の遊びは映画みるのと七並べとダンス、 卒業パーティーで金子功も踊りまくってた。 あの時代のセツは本当の寺子屋でしたね。
わぁ〜なんと素敵な「私のセツ物語」でしょう!
毎回アップされる度に次は誰かなぁ?と楽しみに拝見しておりましたが
ついについに!岩﨑さんで嬉しくってワクワクがとまりません。\(^o^)/
そして高樹町時代の若き日のセツ先生の肖像画もひたすら美しく。。。
もう今から続きが待ちどおしいのでした。
Thanx!!! Satomi!
大先輩の岩崎トヨコさん。2年前の小泉先生の個展オープニングで超お久しぶりにお会いして、すぐに岩崎トヨコさんと分かりました。年月が経ってもその個性は変わらない存在感が少し柔らかくなって目立っていました。昔の事で私の事もおぼれげながら覚えていてくださいました。お世話になりました。
私がセツに入学した時は新しい校舎でしたが高木町の頃の寺子屋風風変わり族の人の私のセツ物語が強烈に面白そうで楽しそうですね。お元気な方達がお元気なうちに載せてもらえると嬉しいです〜????なんかすみませんね。失礼な事言ってしまってないですか?トヨコさんなら言えるカンジがしてうれいしいです。
岩崎トヨコさま、いつもお世話になっております。3年前の年末にひょんな事から知り合いにならせて頂きました。セツの事も含め、いろんなお話を聞くにつけ、60年代のサブカルチャーのど真ん中にいた方なんだなあ、といつも思う次第であります。そんな岩崎トヨコさんの評伝をフリーペーパー「月刊てりとりぃ」にて、連載しております。タワーレコードやディスクユニオンなどに置いてあります。よろしくお願い申し上げます!
!!!
岩崎トヨコさま(イワちゃん)、イワちゃん本人にどことなく似た繊細でオシャレで、それでいて存在感のあるカッコいいイラスト、ありがとう
ブロウタイプのグラスを掛けた、若々しいセツ先生だね。
わたしが雑誌やテレビで拝見したことにある先生ではなく、イワちゃんがコラムで書いたリアルなシックスティーズの長沢セツなんだ!
イワちゃんがとった【スタイル画部門の婦人画報賞】ってのも、わたしが勝手に抱くイワちゃんらしい、オシャレな不良少女っぽいイメージだなーーー(笑)
続きを見てみよっと❤️
お岩さん“69の日“に寄せて
お岩さんに初めてお目にかかった日の記憶…それは、今も鮮烈だ。
澄みきった美しい目が一瞬、キラりん!(ミ#ソシ!)と音を立てたような気がした。
わ〜、素敵な人だ…と思った。
お岩さんの線は、生きている。じっと見ていると突然、紙と接した一点がシュッ、シュ〜ッ!と動き始めたもんだから、あれっ?と思って一回目を閉じる。
夢か…。いや、再び目をしっかりと見開いても、それは続いたのだ。
世の中に溢れている絵という絵がどれでもそう という訳では全くもって、ない。お岩さんの描いた跡は、紙のほうからこちらに向かって語りかけてきてくれる。
「あ〜ら、ユー子ちゃん、元気してる?アタシ?ン〜そうネー、まぁどーにかこーにか元気でやってるわヨ」ってね。
ホキ徳田から紹介されてから、お岩とはもう20年以上の付き合いになりますね。2丁目のナジャの話、私が設計したホワイトのミーコの話、そして極めつけは、西川徹(白川 道)からの詐欺事件など色々ありましたね〜
最近では病院で胃がんと診断され、手術をを勧められるも、近藤誠医師の助言を受け、手術をしない決断をして、私も賛成しました、長生きして欲しいと願っています。
岩崎 豊子 さんの、元友達です。連絡を取りたいと、思っております。連絡方法方法を、教えて下さい。ちなみに、弟さんの、力さんにわ、豊子さんは、死んだと、いわれておりました。私は、現在ロサンゼルスに住んでおります。アイララの元ママの、マリコさんを、通じての、知り合いです。宜しくお願いいたします。