魂がつなげてきたもの 1

地球上に誕生して以来、長い歳月を超えて脈々とつながってきた生命。すべての生命は、原初の祖先から引き継いできた遺伝子を持っている。私たちが意識する、意識しないにかかわらず、誰もが太古の祖先とつながっているのだ。しかし普段の生活では、はるか遠い祖先との絆を体感できる機会はほとんどない。それでも何かの拍子に訪れる、内なる古い魂が蘇ってくるかのような感覚。そんな体験を持つことがある。私の場合、沖縄などの南西諸島を訪れると、細胞の中のプリミティヴな力が立ち上ってくるかのような、不思議な感覚に満たされる。太古の時代まで遡ってみれば、彼方の南方に生きた祖先がいたのかもしれない。自らの魂の記憶のためか、南西諸島に来ると、目に映る自然の景色がとても近しく感じられる。力強く延びる枝葉や気根、鮮やかな色彩の花々。生命の喜びをあますことなく謳歌しているような自然に囲まれるだけで、力強いエネルギーを与えられるような気がする。

私はもう何十回となく沖縄を訪れてきたが、その都度、いとも不思議なプロセスに巻き込まれることになった。多様なカミンチュ(シャーマン)たちと出会い、ウガン(拝み)に同行して聖域を巡る流れになっていくことが多かった。この不可思議な数々の体験は、宗教化する以前のプリミティヴな霊性の在り方について、多くの教えを私にもたらしてくれた。そのアニミズム的な観点で日本を見直したとき、より古い基層文化に、今も確実にその精神が息づいているのが感じられる。例えば大和高原でも、集落ごと、家庭ごとにやり方が異なるような古い祭祀が今も継承されている。あまりにも多様で、数例を挙げるだけでは誤解を招いてしまうのではないかという危惧を、いつも感じるほどだ。しかし、南西諸島のカミンチュたちの祭祀の手法は、さらに多様だ。もちろん、基本となる拝み方はある。琉球王朝時代の社会的なヒエラルキーや書物の普及が、祭祀の統一化を促した側面もあるのだろう。沖縄の生活文化が共有するおおまかな型に則って、多くのカミンチュたちは、師に学んだことを礎に(師につかないカミンチュも多い)、目に見えない存在との対話を臨機応変に行っている。

南西諸島での経験は、私にとって実に深い学びだった。しかし、非日常的な体験を重ねれば重ねるほど、日常生活を基本とした内的な成長を抜きにして、聖地で何らかの作業にかかわることに大きな危険性を感じるようになっていった。目に見えない世界は、目に見える世界に比して、あまりにも深淵で広大だ。人間的に成熟していない段階で、その深みにかかわってしまうと、とんでもない落とし穴が待ち受けていることが多い。沖縄のカミンチュたちが、目に見えない存在と本格的にかかわり始めるのは、子育てが一段落し、人生でいくつかの艱難を経験した後、たいがい40歳代半ば以降だ。私には、まだまだ学ぶべき現実の世界がある。いつの頃からか、私は聖地でのウガンを意識的に自粛するようになった。

それでも南の自然に触れると、魂のうちに眠る何かが強く喚起されていく。先月、家族とともに久々に訪れた沖縄でも、やはりその感覚だけは抑えることができなかった。大地から放散される力、植物や動物たちからの誘いが、ダイレクトに心身に響いてくるのだ。今回の沖縄滞在で内なる扉を開ける鍵となったのは、鳥たちだった。大阪の空港前の道路で、つがいのセキレイが幾度も近寄ってくる。沖縄に到着後は、訪れた先に必ず目前に鳥が現れては、意味深なふるまいを見せる。間近に降りてきて、こちらをじっと見つめながら、鳴き声を上げる。何度も振り返りながら、行き先を案内するかのように、道先を飛び歩く。風景のなかで、近寄ってくる鳥だけが、異様な存在感をもって迫ってくるのだ。その都度、彼らが何かを伝えにきているという直感はするものの、勝手な解釈はしたくない。心のなかで鳥たちを意識しながらも、沖縄の家族旅行を楽しんでいた。思わぬ再会に恵まれ続けた珍道中であったが。

 

今回、一番長く滞在した離島の浜。はるか東方からうち寄せる、美しいさざ波

今回、一番長く滞在した離島の浜。はるか東方からうち寄せる、美しいさざ波