未来を呼び招く、子どもの眼差し

3.11以来、日々、痛感していることがある。現代社会が、すべてのツケを未来に押しつけていたこと。現代社会は、未来を担うはずの子どもたちを上から見下ろすように、大人の目線で管理する対象として見ていたに過ぎなかったのだ。

大和高原では、子どもたちが深くかかわる数々の祭りに触れる機会が多い。そこでは大人たちの暗黙の了解の下、様々な年齢の子どもたちが無礼講を謳歌することが多いが、年上の子が年下の子をそれとなくなだめたりして、自然と収拾がつく。たとえば、「昔の当家(祭りの世話を中心的に担う家)は、子どもらが暴れてもいいように、事前に床の傷みを修理して臨んだ」というほどに、当家宅で元気いっぱいに子どもたちが遊びまわる山添村勝原の「涅槃会」。隣室で控えている当家の大人たちは、一言も口出しをしない。「昔はもっと暴れたもんや」と、思い出話に花を咲かせている。そして、年下の子どもの面倒をみる、最年長の子どもの様子も、実におおらか。祭りは、無礼講を通して信頼関係を生み、子どもの目線を思い出させてくれるのだ。

もっとも古い型によって、もっとも新しい生命を招く。表面的には古式が強調されるものの、常に新たな霊性の更新を志向する、伝統祭祀の本質。子孫繁栄、五穀豊穣の祈願とは、積極的に未来を呼び招く行為であった。反して、未来を呼び招くどころか目を閉ざしてしまった現代社会。3.11以降、その流れはますます強化されてしまったように感じていた。しかし先月、衆議院が解散され、総選挙が告示されるに及んで、この選挙を一種の祭りのように感じ始めている。つまり、「未来を招く行為」であるということだ。選挙というものが、より積極的に新たな社会を招くものであることを、私たちは久しく忘れていたのかもしれない。

私が感銘を受けてきた多くの祭りには、江戸時代の精神性が色濃く残っている。祭りに関する申し送り書など、地域の古文書の大半は江戸時代のものであり、その頃に祭りの型が出そろったのかもしれない。明治維新によって富国強兵が提唱され、江戸時代以前の生活文化が否定的に捉えられるようになってからも、祭りによって、その精神性は細々と生きながらえてきた。7代先の社会を考えるために、7代前の江戸時代の型をヒントにするというのは、祭り的な発想だ。マイナスなイメージのある江戸時代の鎖国政策は、日本の生活文化を開花させ、鎖国前よりも貿易量はむしろ増加させた。ここでもう一度原点に戻って日本の型を新たに見直し、次なる社会を選びたいと思っている。それは言うなれば、生まれくる子どもたちに代わっての投票。子どもたちは、そして、自分が子どもだったら、いま何を望むだろう。子どもたちが活躍する祭りのように、私たちはいまこそ、子どもを中心とした未来を呼び招かなくてはいけない。普段、私たちが小さな子どもたちに伝え、教えていることを、そのまま自らに言い聞かせなくてはいけないのだ。

ところで、子ども時代の回想を歌う「赤とんぼ」は大正時代に作詞された童謡だが、その思い出の舞台は江戸時代から変わらぬ山里だった。2番の歌詞では「山の畑の桑の実を小篭に摘む」という今夏の思い出が描かれている。私が所属している「大和高原文化の会」では毎年、桑の葉を集め、古道具を使った養蚕を実施しているが、大和高原の「小篭」の形を初めて知ったのは、今夏のことだ。「子どもの頃、収穫後の麦藁を編んで、桑の実をよう入れとったもんや」と、ストローで代用して編んだ小篭を一人の古老から見せて頂いて、驚いた。なんとモダンなデザインだろう。ほかの古老たちも懐かしそうに頷いている。大和高原で、古くから編まれてきたであろう小篭。誰もが知っている「赤とんぼ」の状景、そして古老たちの子ども時代の思い出が、自給自足の生活のなかで、こんなにも豊かで美しい手すさびを含んでいたとは。

桑の実を摘んで入れていたという小籠を、ストローで再現。麦藁でここまで細かい篭を編んでいたとは、昔の子どもの器用さに驚かされる

桑の実を摘んで入れていたという小籠を、ストローで再現。麦藁でここまで細かい篭を編んでいたとは、昔の子どもの器用さに驚かされる

「大和高原文化の会」が運営する大和高原民俗資料館内で、毎年実施する養蚕。今年は奈良市内の幼稚園から子どもたちが見学にきてくれて、大賑わい

「大和高原文化の会」が運営する大和高原民俗資料館内で、毎年実施する養蚕。今年は奈良市内の幼稚園から子どもたちが見学にきてくれて、大賑わい                         

 

振り返って私たち、そしていまの子どもたちは、将来、どんな思い出を伝えることができるのだろうか。選挙という重要な祭りにあたって、7代先につながる子どもの目線に戻りたいと、いま、切に思う。

 

大和高原…奈良県東北部に位置する山間地で、主要産業は茶と米。古くは「東山中」や「東山内」とも呼ばれ、凍り豆腐、養蚕、炭、竹製品、藤箕の生産も盛んだった。題目立、おかげ踊り、太鼓踊り、豊田楽をはじめ、個性的な伝統芸能の宝庫でもある。現在は、奈良市、天理市、山添村、宇陀市、桜井市に分断されているが、独自の民俗風習をもつ約130の集落(明治時代の旧村)からなる、一つの山間文化圏である。