秀吉の生まれた愛知県で作られた虎張子(戦前作)
秀吉の生まれた愛知県で作られた虎張子(戦前作)

虎はアジアだけにすむ動物です。大陸と地続きだった頃の日本には虎がすんでいたそうで、その後大陸と切り離された日本には虎はいなくなったそうです。虎は大型の猛獣ですが、あのペットでもある猫の仲間なんです。

日本に生きた虎がやってきたのは890年。朝鮮からです。虎に関わる有名な話は、16世紀に秀吉の朝鮮出兵で朝鮮半島に渡った加藤清正が、とらえた虎を日本で指揮をとる秀吉に送ったという話です。「加藤清正の虎退治」という有名な物語。武者絵や人形になっています。勇猛な清正といいますが、鉄砲で虎を撃ったそうです。それを槍で仕留めたという話にすり替えたといわれています。イメージアップですね。私の集めている郷土玩具の中にも清正の虎退治があります。略して「虎加藤」と呼び、5月の男の子の節句に飾り、子どもが強い人物になるようと願ったのです。

常石張子の「虎加藤」(広島県)
常石張子の「虎加藤」(広島県)

清正は秀吉と柴田勝家の戦い「賤ケ岳の戦い」で戦った、秀吉の七本槍の一人と数えられています。実はその賤ケ岳の戦いに、私の縁者といわれる人物も参戦したのです。中村一氏という武将で、のちに駿府城の主になりました。初回に書きましたが、不思議な巡り合いがあるもんです。十数年前に仕事先で蜂須賀さんという方と出会いました。そうです、日吉丸、後の秀吉と矢作橋で出会い、家来になった蜂須賀小六の子孫です。祖先が共に秀吉の家来となり、同僚として会話し、闘いに行ったのです。今から400年ほど前のこと、不思議なことがありますね。

中村一氏は、遠縁なのに私の長兄にそっくりなんです。
中村一氏は、遠縁なのに私の長兄にそっくりなんです。

話が逸れました。虎の話題に戻りましょう。虎は昔から「千里往って千里還る」といわれています。虎は1日に千里先まで行き、その日に千里の道を戻ってくるということです。太平洋戦争の頃、慰問袋という入れ物がありました。手拭いを二つ折って縫ったり、木綿の生地で袋を縫い、中にお守りや日用品、嗜好品、手紙などを入れ、戦地で戦う兵士を元気づけるために送られるものです。その中に虎の張子が入れられるようになりました。

慰問袋を戦地で受け取って喜ぶ兵士を描いた当時の絵はがき。
慰問袋を戦地で受け取って喜ぶ兵士を描いた当時の絵はがき。

「千里往って千里還る」、つまり兵隊さんが無事に帰って来てくださいという切なる願いが込められているのです。特に関東の張子屋さん、だるま屋さんで作られてきました。ゆらゆら揺れるユーモラスな首振りの虎が、戦地で奮戦している兵士の心を和ませたことでしょう。

それらの張子の虎は、今は節句の飾り物や郷土玩具として寅年の人などに収集され、私は未年ですが虎も大好きでたくさん集めました。今回は虎張子大集合の写真で、「千里往って千里還る」×20と、往ったきりの徘徊老人にならないよう、我が身に祈ります。

虎

裃姿の猫
裃姿の猫

神妙に猫が裃を身に纏い正座をして、右手でお金を、左手でお客を招いています。大阪の住吉大社の末社・楠珺社(なんくんしゃ)で授けてくれる「商売繁盛、家内安全」のお守りです。毎月初めの辰の日に求めて神棚に祀り、48体揃うと「始終発達」という願いが叶ったとされ、神社に納めると大きな猫と交換してくれます。さらなる大きな繁栄を祈ってくれることになるのですね。

毎月初めの辰の日に求める猫=「初辰(はったつ)の猫」、略して「はったつさん」と呼ばれて、古くから大阪で親しまれてきました。昔から思っていますが、48体の猫と大きな猫は等価交換できているのでしょうか? てなことを言うと、不信心者、下衆の勘ぐりと叱られそうですね。ちなみにお金を招く右手を挙げた猫は偶数月、お客を招く左手を挙げた猫は奇数月に授けてくれます。楠珺社の祭神はお稲荷さん。狐がお使いですね。

そこで、春の雛祭に郷土玩具尽くしのお雛様を作ってみました。

春の雛祭に郷土玩具尽くしのお雛様を作ってみました

女雛と男雛はやはり住吉大社で授けてくれる夫婦和合の「裸雛」、

女雛と男雛はやはり住吉大社で授けてくれる「裸雛」

五人囃は「初辰の猫」、三人官女は高松と津の「奉公さん」と八代の「おきん女」、

犬筥は奈良・法華寺の守り犬、

犬筥は奈良・法華寺の守り犬、

狐は京都・伏見人形。いい雛祭になりますでしょうか。
せっかく作ったお雛様、旧暦の雛祭りまで飾らせてもらいます。

 

2月は狐の月です。2月最初の午の日「初午(はつうま)」は、京都の伏見・稲荷山に穀物の神様が降臨した日。この日を祝って、全国の稲荷神社では初午祭を催し、穀物の豊作をお祈りします。稲荷神のお使いは「狐」。だから、2月は狐の月となるのです。

狐はイヌ科の動物。都会の近くにも生息し、死んだフリをして餌の動物を誘き寄せるなどといわれています。ここから、狐が人を化かす伝説ができたのでしょうか。葉っぱを頭の上の乗せ、忍者のように印を結ぶ仕草が、子どものころの漫画によく登場しました。

狐

ところで狐の好物は油揚。お稲荷さんに油揚を供える風習があります。そこから、油揚に酢飯を詰めた食べ物を「稲荷寿司」とも呼ぶようになりました。

東京、赤坂の豊川稲荷の茶店で売られる稲荷寿司
東京、赤坂の豊川稲荷の茶店で売られる稲荷寿司

また、お稲荷さんには狐の土人形が祀られているのを見かけますね。ツンとした立ち姿が、鉄砲の玉のようなので「鉄砲狐」とも呼ばれ、狛犬のように一対に並んでお稲荷さんを守っています。 

鉄砲狐
東京、赤坂の豊川稲荷境内にて

東京・今戸では古くから土人形が作られ、鉄砲狐をはじめ、口入れという文字が書かれた絵馬を手にした「口入狐」、子どもを背負った「親子狐」などが作られてきました。

鉄砲狐
鉄砲狐
口入狐
口入狐
親子狐
親子狐

お稲荷さんの総本宮の伏見稲荷に次ぐ、愛知県豊川の豊川稲荷(豐川閣)の社前では、張子の狐の面が参拝土産でした。

豊川張子・狐面(愛知県)
豊川張子・狐面(愛知県)

今でも狐の瓦煎餅にその面影を残して売られています。以前も書きましたが、わたしの故郷は静岡県浜松市。県庁の静岡市へ行くよりも愛知県の方が近く、豊川稲荷の門前の土産物屋さんに行くのが大好きでした。そこで売れ残った縁起物や、張子などを探しては、家に帰って自慢をしたものです。狐の瓦煎餅は、お稲荷さんの本家の伏見稲荷の門前にもありますね。可愛すぎて食べられないのは私だけでしょうか。 

狐煎餅

話は変わりますが、私の一番の好物は、赤飯に味噌汁をかけたもの。特に、味噌汁の具がさつまいもだったら、なお最高です。「ねこまんま」などと呼ばれ、この食べ方をすると結婚式の日に雨が降ると言われてきました。案の定、私の結婚式当日は朝から結構な雨。実家から式場まで、奥さんになる人と仲人さん、両親とともに、まるで狐の嫁入りのように傘をさして歩いて行きました。そもそも、「ねこまんまを食べると結婚式が雨になる」と言われるのは、ハレの日の食べ物に汁(雨)をかけることから。「狐の嫁入り」はまるで狐に化かされたようなお天気雨のことで、奥さんに化かされた? 私でもあります。

狐

 

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横浜人形の家で開催中「姉様人形と紙雛 てあそびの人形たち」にコレクションを展示しています。
日 時:2025年2月8日(土)~3月23日(日)9:30~17:00(最終受付16:30)月曜休
場 所:横浜人形 神奈川県横浜市中区山下町18番地
※3月23日(日)14:00~15:30トークイベント「姉様人形を語る」(要事前申込)に登壇します。
※詳しくはこちらをご覧ください。

巳は干支のヘビのことです。ヘビ年を迎えたので、今回のタイトルは、蛇改め「巳」としました。あしの本数がヘビのよう少ない生き物や、ムカデやヤスデのように本数が多い生き物を不気味に感じるのは、4本あしに馴染んだ私たちが哺乳動物のせいでしょうか。でも、ヘビにもあしがあったのですよ。今でもあしの痕跡は残っているし、蛇の祖先はトカゲだったそうですから、もっともですね。私の実家は浜松で、隣のお寺に古いイチョウの大木があり、その枝伝いにヘビが屋根裏に移りすんでいました。夜中にズルッズルッと天井裏を這う不気味なあし音? がたまにしましたが、母は縁起がいいしネズミを退治してくれるからと、追い出すことをしませんでした。子どもの頃は、ヘビが脱皮した皮を財布に入れておくとお金が増えるとか、白いヘビは商売繁盛の神様と、よくいわれました。中国には「白蛇伝」という、恋愛物語もありましたね。

大阪では白いヘビの土人形がたくさん作られ、お寺や神社の授与品として授けられていました。さすが商人の街です。

白いヘビの土人形

そして、竹の産地の三重県の伊勢や神奈川県の大山では、竹製のクネクネと動くヘビが参拝土産で売られていました。これは、中国で作られてきた竹ヘビが伝来したのかも知れません。

大山の竹ヘビ
大山の竹ヘビ
伊勢の竹ヘビ
伊勢の竹ヘビ

 

今回は、当社で毎年年賀状の絵柄で制作している干支の郷土玩具工作をおまけに掲載します。面倒臭い作りですが、プリントアウトして楽しんでいただけば幸いです。

干支の郷土玩具工作

 

そしてチョッピリ自慢気に、毎年、当社でデザインして東京の民芸品屋さんで売られている、干支の手拭いも紹介します。各地で作られている「ヘビ」をお楽しみください。

干支の手拭い

日本犬

日本の犬は大昔に大陸から人間と一緒に移り住んだといわれています。くると巻いた尻尾や、ピンと立ったしっぽが特徴で、現在は北海道犬、秋田犬、甲斐犬、柴犬紀州、四国犬を日本犬と呼んでいます。

犬は子どもをたくさん産みます。そのために、日本では安産のお守りとして大切にされてきました。

室町時代の貴族の慣わしで、日本犬を象った犬筥(いぬばこ)と呼ばれる紙製の犬の箱が産室に置かれました。金で鶴や亀、松などのおめでたい図柄が描かれ、おすとめすの犬が左右向かい合わせの1組になったものです。中に安産のお守りやお産の用具などを入れ、犬のようにお産が軽くすみますようにという願いを込めました。

庶民は、このような豪華な犬筥を求めることができません。犬筥に変わって、江戸時代に4本足で立った張子の犬が、東京の日本橋小伝馬町で作られるようになり安産のお守りの犬張子は、子どもが生まれた家へのお祝いとして贈られるようになりました。贈られた家は、約1月後にそれを携えて、無事の出産を祝って近くのお宮さんにお参りに行きます。たくさん贈られた家では、荷車に積んでお宮さんに行ったそうです。その時の犬張子の数が、商家の繁盛を表したのです。まるで、初荷のようだったでしょうね。やがてこの風習は日本各地に広まります。

さらに、その張子屋さんでは、竹の笊(ざる)を被った小さな犬張子も考え出されました。「竹を被った犬」=竹冠に犬。つまり」「笑」という判じものです。

この張子は「笊冠り犬」と呼ばれ、子どもの寝室に吊るし、鼻づまりのお守りにされました。江戸っ子のシャレですね。

この小伝馬町の作者は戦後になって、地下鉄工事(都市計画?)のために埼玉県に移住します。私と知り合ったのもちょうどその頃。あるデパートの催事のコーナーで出会い意気投合。それから亡くなるまで長いお付き合いでした。

世の中、奇遇ということがあるのですね。十数年ほど前でしょうか。いつも行く台東区のクラブで時々お見掛けするお客さんと、たまたま隣の席になり、話題もないので「ご商売は何ですか?」と尋ねました。すると「昔の塗料を日本橋で売っているんだよ」という返事。「どんな塗料ですか?」とまた尋ねると「顔料や膠や胡粉などだよ」という答え。それらは張子の材料です。では「小伝馬町に住んでいた犬張子などの作者をご存知ですか?」畳み掛けると「知っているとか知らない人ではないよ。すぐ近く住んでいたお得意様だったよ」ということでした。私の付き合っている作者は、「当時まだ子どもで××ちゃんと呼んでいて、親と一緒に店に来たもんだ」と。世間は狭いものですね。これだから油断できないけど、まんざら世の中捨てたモンではありませんね。