6月初旬、富山の山手に佇む廃校になった木造の小学校で、「旅鳥たちの芸術祭」という小さな芸術祭を開催しました。 7名のアーティストによる作品展示を軸に、ヘビやカエルだけの動物園やヴィーガンカレー屋さん、うつ病のコーヒー屋さんなど、普段なら混じり合わないような個性溢れる方々に協力していただき、アート・表現について沢山考えた2日間となりました。 芸術祭の中で、映画「目の見えない白鳥さん、アートを見にいく」の自主上映会を開催しました。 目の見えない白鳥さんは美術館が好きで、友人たちと美術館に行っては、会話による美術鑑賞をされています。 そして、彼は散歩の最中に写真を撮る事を日課にしています。本人は決して見る事のない膨大な量の写真が、映画の中で写し出されていました。 美術館へ行く事も、写真を撮る事も、視覚障がい者らしい行動ではありません。 そもそも、○○らしいって何なのでしょうか? アーティストにとって、作品発表の場は自分を売り込むためのアピールの場です。 普段よりも社交的に振る舞い、作品について語る。自分のキャリアのプラスになるような出会いを求め、幾ばくか緊張している状態で、展覧会に臨みます。 観客にとっても、展覧会はアートの観客らしく振る舞わなければならない場になっています。 大きな声を出し動き回る乳幼児は連れていきづらく、いかに静かに真剣にみているか、他者の目線を気にして振る舞わなくてはいけない経験をしたことがある方もいるでしょう。 展覧会らしさ、アーティストらしさには、こういった側面も含まれています。 私は当初、小さな子ども連れの方が気兼ねなくアートを楽しめるスペースを作りたいと思い、この芸術祭を企画しました。 実際に、アートや映画に飽きた子どもをキッズルームに誘導し、保護者の方が困っていれば声をかけ、サッカーがしたい子どもがいれば、校庭でサッカーをしました。 何かをつくりたくなった子どもは親の手を離れ、勝手にワークショップに参加をしていました。 蓋を開けてみれば、アーティスト、観客、スタッフみんなが、自分らしく居られる場所ができあがっていました。 まるで、ツバメや白鳥が旅の疲れを癒すとまり木のような、自分が自分のままで居られるセーフティセンターのような、不思議な空間でした。 様々な人の喋り声が、鳥たちのさえずりのように木造校舎にこだましていました。 その喧騒が私に、自分らしさこそ表現のスタートとゴールだということを教えてくれました。 アートへの旅路は、これからも続きます。 SHARE TO FACEBOOK / TWITTER / PINTEREST