台と生活

今や当たり前になっているベッドやテーブルの生活だが、家具を「台」として捉え直し、あらためて現代の住環境を見直してみたい。

日本人がテーブルや椅子などの台を利用した生活をはじめたのはごく最近のこと。世代的に勘定すればまだ半世代というところか。
床での生活が中心だった家で台と呼べるのは調理台ぐらい。そこから調理場であるキッチンに”台所”の名が付いたのだろうと”勝手”に想像する。
台所は”お勝手”ともいう。「使い勝手がいい」とかの表現が元のような気もする。余談だが専用の出入り口を「勝手口」と呼ぶのもとうぜんの帰結と思う。
日常生活で台を必要とする作業はあまりない。いろり端はともかく台所は立ち仕事。調理台は家庭内でもっとも背の高い台といえる。
立ち仕事でなければ座り仕事。縁側や炉端や土間は作業場のようなもので、思い浮かぶ姿勢は立て膝。あぐらや正座もあるが、座った姿勢で床や地面に手を届かせるには立て膝がいちばん合っているような気がする。台はない。
東南アジアでは椅子というよりも地面すれすれの台に腰かけて作業する例がある。他の地域にもあると思うが、尻をつけずに作業したい、しゃがむ姿勢ではつらいなどの理由で両膝を立てて尻をすこし浮かせる姿勢が目立つ。長時間仕事するのに向いているのだろう。乳しぼりもこれに当たる。
低い台はあくまで作業用でリラックスできる台ではない。台に座ってリラックスするには尻と両足に体重が分散される高さが必要で、いわゆる腰掛の高さ。縁側は沓脱ぎ石をおいて腰かけやすくしているが、これが”いわゆる縁台”の元だろう。
テーブルの高さは椅子に合わせて決められたに違いないが、足掛けのある高椅子は作業台の高さに合わせてつくられている。椅子の高さが決まる順序はいろいろだ。
腰かけることもできるが、寝ることに特化したのがベッド。一日の1/3しか使われないのに一日中部屋を占領している。必要だけれど困った存在のベッドと思う。

日本の住宅はもともと広いものではない。島国で平野部が少ないのにそこに産業や人々が集中するから小さな土地に小さな家、それが一般的な住宅事情となっている。
床で生活していた頃とさして変わらない広さの家にソファーやベッドが入ってくれば、家が狭くなるのは当たり前。なのに、土地の大きさや経済的理由などから、家そのものはなかなか大きくならない。
夢か希望かあこがれか、そもそも家具をたくさん入れられないスペースにダイニングセットやソファーセットをむりやり押し込んだ結果、床も見えない家具売り場みたいな状況となって椅子やソファーの透き間を縫って歩くこととなる。夢は叶ってもこれでは家も人もかわいそう。
どうせ食卓に着いたらあまり動かないのだから、ソファーセットなど置かずに長椅子一つで我慢すれば床も見えてきてやっと家らしくもなる。家具に負けるな!
本来クロゼットに納まるべきものを”床下収納”とかベッド下の物入れにしまわざるを得ないような日本の住宅事情は、涙ぐましくもある。

夢や希望やあこがれをしっかりと見直し、家具を減らして造付け収納を増やし、使いやすく住みやすく、当たり前に床が見える家を復活させよう。

台と生活

撮影:岡本茂男