昼行灯

ヨーロッパの職人が昼間に作業するのをTVで見て驚いた。なんと窓に背をむけて仕事しているのだ。いわゆる手暗がり、補助の照明もない。日本人だったら窓に面とむかって手元を明るくする。そうして細かな作業するのが常識なのに・・・
強い光に弱いのか、強いコントラストがいやなのか。たしかに陰影がなくてコントラストが弱い方が細部が見やすいのかもしれない。それとも薄暗い方が意識が集中できていいのか、考えてはみたがどうにも納得がいかない。
暗い方がよく見えるなんてことは有り得ない。少しくらい暗くても見えればいいとか、なまじ明るくて細かいところが気になるより、少しくらい暗いのをがまんして視線の先に意識を集中させる方がいいということなのか。
もしかすると・・・
ヨーロッパは夜が長い。とくに北の方は「白夜」というくらいで、夜でも生活に困らないほどの明るさなのだろう。朝のうちは暗く昼はみじかい。民族のDNAは暗さになれている?、昼の明るさに目が慣れていない?・・・のかもしれない。
そういえば白人はサングラスを掛けてでも太陽の下に肌をさらす。まさか光合成ではないだろうが、生物として生態を保つのに太陽光を必要としているのは容易に想像できる。
ヨーロッパには巾ひろく色がある。海のブルーにも巾があり、ウルトラマリン・プルシアンブルー・コバルトブルー・・・スカイブルーもあった。色の巾がひろいのは低い太陽と関係があるのかもしれない。青い目も関係する?? 
日本は青い空と青い海。クレヨンも空色と水色だ。日本人の色の原点は空と海?そう考えると何かにつけブルーシートというのもわからないではないが、それに反して日本名のついた色はやわらかな印象のものばかり。湿った空気で物がはっきり見えないせいかもしれない。それにつけてもブルーシートはやはり、どう考えても理解できない代物だ。

そのむかし日本人の1日の切り替わりは夕暮れだったと聞いたことがある。夕焼けに感動しながら日が沈むのを見届けると一日が終わる。暗い夜のむこうに明るい日=明日がはじまる。実感として分かる気がする。
ヨーロッパでは西向きの家が好まれるという。みじかい昼を目いっぱい楽しもうということなのだろう。日が沈んでも沈みきれずに空は明るく、そのまま明日が来る。切れ目のない明るさのなかで、一日の終わりと始まりはいったいどこにあるのだろうか。
昼と夜がはっきりしている世界に棲み、西日を嫌い朝日を好む日本人には理解できないことなのかもしれない。

昼の明かりを家で楽しむには中庭がいい。
地面に陽が射さない、窓を開ければすぐそこに隣の窓。そんな住宅密集地であればこそ、まとまった土地さえあればぜひ中庭をつくりたい。
中庭は意外と陰影が強くなく目にやさしい。壁やデッキや地面の反射で光が回るせいだ。
家に中庭があると、視界を拡げたいとかリビングの一部として中庭を取り込みたいとかで開口部が増えるからついつい明るすぎる家になる。せっかくの視界を壁でふさぐのはもったいないが、陽が入りすぎるのも困る。日除けのために軒を出すと空が小さくなるが、強い陽射しで眩しくて暮らせないというよりはましだろう。
視界を確保しつつ日光を調節するには格子戸やブラインドが必要となる。昼の明かりのコントロールが中庭の最大の設計要素のような気がする。

中庭はともかく、写真家の岡本茂男さんが「昼行灯はよそうよ」と撮影のときによく言っていた。部屋の明るさは太陽の明かりが基本。昼の電灯は不自然ということなのだろう。

昼の明かりを楽しめる家を設計したい。

昼行灯