住まいの原点

だいぶ前のことだが、総額80万円で「小屋」をつくった。
ただし、80万円は材料費のみで人件費はゼロの計算。ズブの素人がよってたかって延べ7日間で完成させた。しかも真夏の日曜日のみの活動、期間にして2ヶ月でつくり上げた。

小屋づくりは居酒屋での何げない会話から始まった。「週末にのんびり・ゆっくり・だらだら・わいわいできるような場所があったらいいのにね~」。みんなで別荘を持とうといっても、土地はないし金もない。夢のまた夢だよね~。そんな話を、そばでボヤーッと聞いていたボクはひらめいた。
「土地をタダで借りて、雨風しのげるだけの小屋ならできるかも・・」土地をもっている人と、資材の調達や運搬をやってくれる人が思い浮かんだのだ。

その数年前。「埼玉で工務店を始めたいので木造の勉強をしたい」という若者が人づてにやってきた。ボクがまだ20代の頃だ。その後、工務店を始めた彼の高校の同級生が家を建てるので、設計をしてほしいと言ってきた。結婚する同級生の新居という。同級生は農家の長男で、土地はいくらでもあった。小屋の用地のターゲットは、農家の裏の川のそばの使っていない土地。新居の工事中、なんとなく気になっていた場所だ。資材係は工務店の若社長。居酒屋でのヒラメキは彼らを想定してのものだった。
若社長を通じて新婚の同級生に小屋の構想を伝えてもらった。話は農家の長老に伝わり、運よく(首尾よく?)用地を提供していただけることとなった。そうとなれば具体化に向けて一直線!。用地には栗の木が数本あったので小屋の名前は「栗の木小屋」。会もとうぜん「栗の木会」。テーマソングも、♫大きな栗の木の下でぇ~
栗の木会会員はまず3人。若社長と同級生、そしてボク・・・夢はついに現実に。

まずは資金調達。資金集めといっても、取っかかりは居酒屋での顔見知りしかない。そのころ通っていた居酒屋は3軒で、うち2軒は客がダブっていた。
はじめて構想を打ち明けた相手は、大学の研究室で助手をやっている画家。「その話のった!」即座に会費2万円を払ってくれた。一発必中。酒の力は強い。
「なに騒いでるんだ!」と寄ってきた連中も、「2万で小屋?」と半信半疑ながら「明日もってくる」「そのうち払う」とかで、どんどん会費が集まった。なぜか領収証は1枚も出していない。
若社長と同級生も埼玉の地元で会員集め。東京と埼玉で合計70人、140万円が集まった。
さあ、それからが大変。盛り上がっているうちに着工して、若い連中が飽きないように短期決戦。素人でも造れて金が掛からないように設計し、現場では付きっきりで指示を出した。ワイワイガヤガヤ炎天下を一日中みんなで働いた。会費イコール工事参加費か。
夕方からは生ビールで大宴会。このおかげで次の日曜への意欲もわいたのかも知れない。
中には涼しくなる夕方にやってきて、工事の進捗状況を確認して即宴会。まねする者も出てきて、なぜか夕方になると人が増えていた。
最後に集計したら集まった会費はほとんど残っていなかった。いかに宴会費に流れてしまったかということだ。

完成後は会報を発行しながら、農家のお婆さんに教わって野草を食べる会や手打ちうどんの会などをやったり、夜中に山へ行ってフクロウの声を聞く会など、小屋を拠点にいろいろとマジメに活動した。
最大のイベントはなんと言っても「栗の木祭り」。週刊誌が取材にくるというので、急遽「祭り」を企画。神輿を設計して一晩で2台もつくり、にわか祭りを堪能した。
会は解散したが小屋はいまも健在。地元の人たちに活用されている。

また何かやりたいなぁ~

小屋

栗の木祭り

撮影:畑 亮(小屋)