店舗と住宅

店舗も住宅も設計プロセスという意味では変わらない。
たとえ経済的合理性を追求するビルであろうと、幼い子たちの教育環境を整える幼稚園であろうと、僕のなかでは設計の流れは同じように進んでゆく。
設計の要素を抽出し、使い勝手を追求し、住み手使い手の方針や考え方を採り込んだデザインに仕立て上げる。もちろんその底辺には僕の思想も盛り込まれる。このプロセスを踏みつつ時間と予算とをかんがみたうえで現れ出るのが「建築」であり「空間」と考える。

振りかえればこれまでに店舗系の建築を10件近くやっている。手始めは学生時代の新築戸建ての小さなスナックだった。以降、レストラン、バー、喫茶店、小料理屋、洋菓子店、そば屋、サンドイッチの店、商業ビル、画廊などなど。このうち新築は小さなスナックと商業ビルのみ、他は新築ビルやマンションの道に面した一角につくられた。ちなみに営業中の店のいわゆる模様替えはやったことがない。そのため工期は最低でも1ヶ月以上あるものばかりだった。
そのむかし東京は羽田空港にほど近いところに大型の料亭が何軒もあった。とうぜんながら海寄りの土地でもある。いわゆる三業地として栄えていた場所だが、社会の変化とともにやっていけなくなり、ことごとくマンションに建てかわってしまった。
料亭が栄えていた頃のことは知らないが、そのうちのひとつで最寄り駅の近くに「浮島」という料亭があった。浮島みたいな中州にでも建っていたのか、浮島が見える立地だったのか、いずれにしろ「浮島」とはオシャレないい名前だ。マンションとして建てかわった後もその一角に料亭のなごりをなんとか残したいという「浮島」のオーナーの強い思いがあり、料亭「浮島」の名は割烹「浮島」に受けつがれ、あらためて日の目をみることとなった。
検番という、芸者の元締めの番頭をやっていた人や、元芸者のベテラン女史などのすこぶる明るい人たちから、酒を酌み交わしながら料亭時代の「浮島」の話などをたくさん聞かせてもらった。そんな情報をもらいながらマンションの工事中に設計を始めたから、設計期間も工期もたっぷりあった。足りないのは予算だけ・・・。
オーナーの浮島に対する強い思いや料亭時代を知らない新しい客層、それらを意識したデザインを生みだすのに苦労した思い出がある。
大工は一人でやってくれたが、京都で修行した人で数寄屋造りに詳しく、工事中に品のいい納まりなどについていろいろと教わることができた。店の外観に、割烹らしさを出す小道具として竹製の犬矢来を作ってもらったが、工期にゆとりがあったせいか、大工は竹くぎまで自分でつくって楽しんでいた。もしかすると腕前を見せたかったのかもしれない。
内装はローコストで、天井はコルククロス、壁はビニールクロス、床はタイルパターンの塩ビシート。造作も天板は合板デコラ貼り、照明も工夫してコストダウンを図っている。
少ない予算のなか、テーブルと椅子だけはデザインして作らせてもらった。

30才で設計したわりにはよく出来ていると思う・・・自画自賛・・

浮島

撮影:岩本為男