森の中の庄屋所としての建築、茅葺き民家交流館「土居家」を訪ねて

愛媛県西予市野村町惣川天神地区

土居家

土居家

東に四国カルストの大野ヶ原(1,100~1,500m)南に雨包山(1,111m)を望むこの地区は標高500mに位置し、雲湧き星降る里と称される天空の里である。
坂本龍馬脱藩の道で有名な高知県梼原町の韮が峠(にらがとうげ)からは近く、梼原街道を野村方面に16km程度下った所に位置する。

人口は400人を割り、今では典型的な限界集落ですが、かって江戸~明治時代は、伊予と土佐の国境を行き交う旅人で賑わう宿場町であった。最盛期には4,000人以上が住んでおり、芝居小屋まであったと聞かされる。

標準的な茅葺民家の4倍はある大きな屋敷は、1827年(文政10年)の建築とされ、間口25m、奥行き12m、高さ13m、牛木(やだき)は22mの一本もの、木造の茅葺民家としては四国最大級である。

藩政時代の庄屋を経て、土居家は酒造を営み、明治に入って郵便局が置かれ、役場、小学校と、惣川の社会構造の変化に伴い、少しずつその姿をかえていった。庄屋所としての規模の大きさとともに、歴史の流れの痕跡を土居家に見ることができる。

1998年(平成10年)土居家修復が町の事業となり、住民参加の「茅の一束運動」が動き出した背景には、地道な住民の意識づくりと、粘り強い意識の高まりが実を結んだ。それにしても職人に恵まれて、棟梁の役割を果たした、あの一尺大鉋削りで有名な宇和島市に本社を置く、名人山本文義さん。屋根葺き職人は地元の有岡春樹さん、水野和夫さん、左官は亀岡左官さん。優れた建築が生まれるところには、必ず優れた職人がいるということ。言い換えれば、建築が職人を選ぶのである。