建築家よ花魁になるな 人知れぬ山中の花であれ 松村正恒作品を訪ねて

法華津峠

法華津峠

あの日土小学校完成の翌年1959年(昭和34年)に法花津湾を見下ろす絶景の地にあって、展望台の依頼を宇和町卯之町の富士廼家の先代片山寿氏が松村正恒先生に依頼したのである。
しかし、最もビューポイントである崖(がけ)の所には建てず、建物自体が邪魔にならないよう少し手前に控えて建てられている。オーナーの意思と松村美学が融合している。60年前に建った建物とは思えないほど、人の心を捉えて離してくれない。

この峠で一夜をあかし生まれたのが讃美歌404番 山路こえて 1952年(昭和27年)日本初の有名な曲をひとつだけあげるとすれば 山路こえて という讃美歌は聴き逃すわけにはいきません。この曲の歌詞を明治期に書いたのが松山藩士の長男として生まれた西村清雄です。作曲はアメリカのアーロン・チャビンです。この曲を作った法華津峠に歌碑が立てられています。

山路こえて、ひとりゆけど、主の手にすがれる身はやすけし。
松のあらし、谷のながれ、みつかいの歌もかくやありなん。
峯の雪とこころきよく、雲なきみ空とむねは澄みぬ。
みちけわしくゆくてとおし、こころざすかたにいつか着くらん。
されども主よ、われいのらじ、旅路のおわりのちかかれとは。
日もくれなば、石のまくらかりねの夢にもみ国しのばん。