景色を採りこむ

市街地の家では景色らしい景色はなかなか得られない。立地条件によっては景色のまったくない家もある。
狭小敷地ともなれば、景色どころか太陽もないことだってざらだが、風通しは何とか得られるから、新鮮な空気だけは確保できる。人は、少々陽が当たらなくても肉体に大きな影響はないが、湿気った空気や酸素不足は健康被害をもたらす。日照はともかく通風の確保については心して設計すべきだ。

景色がない世界はストレスを生む。たとえ美しい景色がなくても、すこしでも遠くを見通せる状況があれば気が楽になる。犬や猫が窓際にうずくまり、遠くの方をぼーっとながめているのと同じで、人にもぼーっと遠くを眺めるような状況が必要だろう。そのこと自体がストレス解消になる。人も動物だということを忘れてはいけない。

家の中から、どうやってもぼーっとながめていられる対象がなければ、最後にのこるのは空。軒先などで切り取られた空は、立派な景色といえる。
切り取られた空の、フレームで囲われた限られた世界は映画のスクリーンのごとく、われわれの視界に別世界をもたらす。
フレームの端から現れた雲がゆっくりと、あるときはすばやく流れゆく。たまに小鳥が横切ったり、遠くの方に渡り鳥が規則正しく整列する姿を見せることもある。天高く飛行機雲を引く、銀色の小さなジェット機もフレームを横切ってゆく。見飽きない空だ。
刻々と明るさが変化してゆく夕暮れどきは、空の赤さもさることながら、時の流れをいやおうなく感じさせてくれる。建築空間が時とともに変化するものだと実感させてくれる、きちょうな時間帯だ。

写真の家の敷地は、狭いながらも角地。が、そのわりには角地らしい利点はほとんどない。道路は北と東にあるが、接道は東の方が長い。東側の道路は北に向かって下がっているので、敷地の北側は道路面からだいぶ高くなっている。そのため北側道路には陽が射さず、一年中うすぐらく、かつひんやりとしている。
南側は、これまた大きな段差があって隣地が高い。そこに敷地ギリギリに2階建てが建っていて、こちら側の日照を完全に遮っている。南はもう捨てるしかない。

むずかしい設計要素ばかり。なにかアイデアを出さねば・・・
東側の道路の向こう側は、一段上がっていて緑地公園となっている。これを活かさない手はない。近くに団地があるが、この公園には子供たちの遊具もなく、樹木におおわれているだけ。今どき得がたい緑地が残っている、めずらしい公園である。ターゲットはここだ!
日照の関係で2階リビングはとうぜんのなりゆき。
小さいながらも南北に長い土地にコの字型の建物を建て、真ん中の空いた部分から日照と通風を確保する。ここに東向きのデッキを設けて、三方を囲む部屋どうしを繋ぐ視界の要として活用するとともに、緑地の景色を招き入れて自然を採りこむ。
敷地中央のデッキのおかげで、道路を見越した緑地公園が、まるで自分のもののように思える不思議な光景が出現した。借景は「空」

東戸塚:デッキ