へんてこなモノたち

月に1度、京都の平安蚤の市に出店している。2019年4月から始まって、今年で4年目。関西周辺のみならず、時には東北や九州からのお店もある。若い道具屋さんが多い新しい蚤の市として定着しつつあるようだ。

以前出店した京都ふるどうぐ市で、お客さんの熱い道具愛を強烈に感じた経験があり、それを胸に臨んだ初回。屋外の2m四方の小さなスペースに、何をどう置こうかと事前にシミュレーションも行った。ところが当日はかなりの風雨。4月なのにカイロが必要なほどの寒さ。荒天ゆえにキャンセルもできたが、初めてだから何とかやってみようとテントを立てて店を開けた。ホントに寒かったが、会場内には新しいことが立ち上がる期待と熱気が感じられ、無事終えることが出来た。お客さんから「伝説になりましたねー」と声をかけられ、笑いあった。

嵐の幕開けだったが、その年の末からコロナ禍となり、翌20年、21年の2年間は緊急事態宣言が出て、開催中止も度々。古道具担当は介護職もしているので、出店を見合わせたりもした。外国からの旅行者の姿も消え、お客さんの少ない寂しい時もあった。でも、見方を変えれば地元の道具好きの方が集ってくれているわけで、それはそれで落ち着いたよい雰囲気だった。現在は感染防止対策を取りながら、通常通り開催されている。

場内のお店は個性的で、見ていて楽しい。そんな中、うちはどうだろう?「いつもよりへんてこなものが沢山ある!」と喜ばれることはあるが、たいてい不思議なものが無造作に並んでいる。今までにあったものといえば…… ひよこを飼育する木箱、劣化した赤いビニール紐、用途のわからない紙の束、ボロボロの軍靴、60年代のお母さんが提げていた買い物籠、金属製の小さなニャロメ、チマチョゴリのリカちゃん、オーガンジーのマントをまとって杖を持つ手作りのエンジェル、やはり手作りの五輪の刺繍の状差し、骨組みだけの乳母車、タイムカプセル……もちろん、いい感じの棚や机、シブい椅子、一見何気ないけど佇まいのよい器、手の込んだ造りの小物や截金の小さな仏像など、そういうものもあるのだが、大まかな印象はやはり“へんてこ”なのだと思う。

中でも店番的にインパクトの強かったのは、“貝製のカエルの楽団”。とても瀟洒なガラスケースに入っている。楽器を操る8匹のカエルは、いろんな貝を使って作られている。そして楽団のスケールに合わせて作ったと思われるハコは、細淵で繊細だ。感度の高そうな若いお客さん達は、すぐにハコに目を止める。でも中を見て引く。ハコとカエルがバラせないとわかると、みな去っていく。私も見ていてそうだよなぁ、と最初は思ったが、もしバラせたらカエル達はほぼ間違いなくホカされてしまうだろう。それも何だなぁ、という気もする。結局買い手は見つからず、今は店の片隅にある。この楽団とハコに、次回の活躍の場はあるのだろうか。

ある時は、小さなボロボロの額絵について、古道具担当とお客さんが、「これはこうして描いたね」「いやー、こうでしょ」。お互いに描画のディティールについて応戦している。詳しいなぁと思ったら「だって僕画家だから」。ひとしきり盛り上がった後、このボロさ加減がよいから、と連れて帰ってくださった。

セーラーカラーの古い子供服を持って行った時。昭和の初めくらいのものだろうか、可愛らしいけれど状態はあまりよくないし、スナップボタンも劣化しているなぁ、と思っていたら、「手に取ってもいいですか?」と思案する方が。人形をコレクションしていて、着せたいとのこと。あぁ、そんな風に使ってくださる、とうれしくなった。

「蚤の市は人間が持つ文化を伝えていく場。美しいものって何なんや。道具は、本質的なものを問い直す作業の手立て」と古道具担当。「道具は、長さん(古道具ニコニコ堂店主・長嶋康郎さん)の言う“業”みたいなものを問い続けるためのもの。せめて自分の好きなものについては、そういう世界を人に伝えていけるように」と思いながら選んで並べているそうだ。「売れなかったものは手元にずっとあるので愛着が出て、値段が高くなる」と、訳の分からないことも言う。それは冗談としても、確かに経年は何かを増す。へんてこなものは、まさに乙なのです。

お手玉より、おじゃみ、ということばの方が、しっくりくる古さ。中には細かい砂利が入っている。
お手玉より、おじゃみ、ということばの方が、しっくりくる古さ。中には細かい砂利が入っている。