絵を描いています

9月に、東京・西荻窪にあるギャラリーブリキ星で個展をした。ブリキ星での展示は2004年以降、5回目。東京にいた時には抽象画を描いていたが、大阪に転居してからは風景や身の回りのものを描くようになった。絵にすることで、自分の居る場所を確認していくような気持ちだった。平野の広がる関東と違って、関西は何処からでも山が見えるし、当時の住まいは生駒山系が近かった。なだらかな稜線が美しく、月が登るのをよく見ていた。虹もたくさんかかった。また、関西ならではの寺社、観心寺や熊野を訪れた印象も描くきっかけとなっていった。

彦根に来てからしばらくは生活環境の変化で全く描けなかったが、数年前から少しずつ描くようになった。まずは近くに見える村の山を、描く生活が定着してからは琵琶湖にもスケッチに行くようになった。
移住者の率直な感想として、琵琶湖は大きい。対岸が見えるから海のような開放感とは違うのだが、ずっと見ていると広い水の膜が地球を覆っているようにも感じられる。どんな天気でもきれいだが、水辺にはわりと漂着ゴミや打ち上げられた魚が点在している。松の木の上に巣を作っている鳶が、頭上を旋回している。浜辺は静かである。風に耐えられなくなったら、家に戻る。

具象的な絵は、見る側にそれぞれの入口があって、描いたこちら側のイメージを超えていく。琵琶湖のように多くの人が知る場所だと、見た人が自身にまつわる話を聞かせてくれる。竹生島の秘仏を見に行ったことや、湖東地方の知られざる仏像の話、井上靖の小説の話をしてくれた方もいた。琵琶湖での事故で子を亡くした父親が時間をかけて死を受け入れる話だという。それはたぶん『星と祭』という小説のことで、絶版だったが3年前に長浜の小さな出版社が復刊を果たしたというニュースを、そういえば読んだ。

会期中、作品を眺めていると、日常をそのまま持って来ていることに気付いた。身の周りの景色だからといえばそれまでだが、店のことや家のことなどあれこれしつつ、古道具担当にブツブツ言いながら過ごしている時間が、絵の裏側にそのままあった。

11月は、滋賀・近江鉄道の愛知川駅舎のギャラリーで展示をしている。東京の作品に加え、少し前の抽象画も一緒に並べている。関西に来てから少しずつ絵が変わったことも含めて見てもらおうと思ってそんな展示にしている。

たまに、抽象から具象に代わるのは逆ですね、と言われることがあるが、学生時代に習い事で描いていた頃は、具象の油彩画だった。次第に中心となるモチーフよりもその周りの空間を描くことに興味が移り、抽象化された画面になった。でも、“描く”気持ちが先行し、描くことの核心や、主観と客観を整理して考えをうまく組み立てられずにいた。何かが足りないと感じていた時に、大阪に転居することになった。その後は少しずつ、周りにあるものを画面に持ち込んで、それを手掛かりに描くようになった。

今回、過去作を一緒に置いたことが、かつて抽象で引っ掛かっていたことが何だったのかを、気付くきっかけになった。それを元に、今の視点を重ねて描くことで、次の絵につながっていく。転居をきっかけに全く違ったことをしてみたからだな、と今思う。

湖岸、伊吹山

「湖岸、伊吹山」 2022年 41×53cm
パネルに麻布、膠、油彩、オイルパステル、木炭など

絵は、パネルに麻布を張って、油彩用の下地処理をする。下地は全てを白く塗らず、斑にして麻の地を残す。それからオイルパステルで描いていく。筆は使わず、画溶液を浸した布で擦りながら、色面を拡げていく。オイルパステルは油絵具のように定着しないし、一般的には〝下描き〟の画材とされるが、現在進行形的な性質が自分には合っているように思う。