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バスのドアに貼りつく先生

大原達郎(編集者、ライター)
1993年~1997年在籍

セツ先生の好みといえば、やせっぽちで素朴な人、どちらかというと男子ですよね。当時今より10キロ以上体重が少なかった僕もご多分にもれず、入学直後から何かと話しかけてくださったり、耳を引っ張られたりしていました。

しかし人見知りが激しく、人間関係が致命的にへたくそだった僕は、休憩時間にもあまり人の輪に入ってゆけず、アトリエで寝転んで本を読んだり、本屋に行って暇つぶししたりしていました。セツは「友達に学ぶ」べき場所なのに、孤立してしまう僕を不憫に思ったのか、先生がかまってくれる場面がたびたびありました。

おかげで、「僕もこの学校で勉強していいんだ」という気持ちになり、大変ありがたかったです。

そんな中からの小話をいくつか書いてみますね。

・セツ先生「大原、大原、コーヒーあまったから飲むか? (通常は1杯100円)」あきれた黒木先生「先生、それはえこひいきって言うのよね」さすがに他の生徒さんもいる中なので遠慮させていただきました。

・大原写生旅行にて「夕食が終わったら、俺の部屋に遊びにおいで」と先生。さすがに一人で行くのは怖かったので、仲の良かった生徒と一緒にいくと、もう寝ていらっしゃいました。とりあえず、なにか、ほっとした気分でした。

・一度だけ、映画の試写会に連れて行ってくださったことがありました。スペインの内乱を題材にした映画でしたが、先生と同様、僕も思想的にはピンクなので話が合うと思われたのかもしれません。
その時の先生はとてもハイテンションで、出発しそうなバスのドアに貼りついたり、銀座のソニービル前の通りを車に挨拶しながら横断してしまったり、バスの中ではうんこや便秘、浣腸の話で盛り上がったりしていました。思想の話はあまりしなかったです。

そして、セツを卒業・就職後も、OB科に顔を出したりすると、「なんだおまえ、ずっとさぼってて」などと声をかけていただき、「就職していても、お前は絵描きなんだぞ」といわれているようで、心底「ありがたいなぁ」と思ったことをおぼえています。

以上、私のセツ物語でした。

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  1. 星信郎 より:

    大原達郎くん こんにちは。

    声高に、100円コーヒータダでいいよ! それがセツ先生のえこひいきか、それにイチャモンつける黒木先生がいて、笑いあふれて懐かしい。

    便秘の話なんて、声をひそめる場面で先生は一段と口調を高める困ったくせ、ありましたね。

    僕が入学した高樹町時代では、セツの便所にはSETU CHINと真っ白く書いて目立ってましたよ。
    新宿舟町の校舎では、最上階にある便所のドアー全面を使って大きく縦にWCと書いてありましたが、実はあれセツ先生の命令でボクが書いたのでした。
    先生は、食べる話、出す話し、それを分け隔てしたくなかったんだね。

    さかんなH談議では、あっけらかんと語ってるし、セツのコンセプトは「自由さ十上品さ」だよと、よく言ってましたね。

    大原君、おかげで楽しかったです。またいつか聞かせて下さい。星

    • 大原 達郎 より:

      コメントありがとうございます。

      「SETU CHIN」「せっちん」という言葉はその当時は一般的だったのでしょうか? むしろ使う人が戸惑ってしまいそうですね。

      こちらこそ、星先生はこの手の子話を僕の何倍も持っていらっしゃるでしょうから、デッサン会の休み時間などでお話を伺うのを楽しみにしています。

  2. 飯野です。 より:

    大原くんの顔、はっきり覚えてます。デッサンしたこともあって。セツ先生の超お気に入りだったね。

    • 大原 達郎 より:

      あれ、某通信社に勤めていらっしゃった飯野さんですか? 僕もはっきり覚えています。すごく懐かしいです。僕は太ってしまい、まだ学校があったころに村松先生にデッサンのモデルをやらせてくれないかと頼んだのですが却下されてしまいましたw。

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