Spring ephemeral

 

「金沢はそろそろ」と桜の便りを聞いた。能登の中でも一番雪深いこちらはまだ一週間は遅れるのだろう。冬が長い分、春の訪れは楽しみだけれど、山の春は桜よりももっと静かに、人知れず始まる。その地味さが今では桜よりむしろ好き。

ようやく雪が解けた山を見上げると枯れ木に所々薄黄色いものがある。よくみないと分からないくらいの淡さ。近づいてみるとマンサクの花がひっそり尾根の上の枝先に咲いている。縮れた糸状のレモンイエローの花弁は十文字に交差して、真ん中に真紅の部分が鮮やかで意外と派手な花だ。早春に「まず咲く」がマンサクの由来らしい。集落では茅葺屋根下の構造材を組むときにマンサクの枝を曲げて繊維をほぐしたもので結束したことから「ネソ」と呼ばれている。


河原のネコヤナギや黄色いオオキツネヤナギの綿毛が日に日に膨らみ、ケキブシは黄色い花が簪にそっくり。ツノハシバミの硬かった蕾も日毎、長く伸びて緩んで赤く色づき春風に揺られる。密かに枝についた雌花も赤い花をポチッと花開く。緩やかに、でも確実に季節は巡っていく。毎年こんな木の花たちを題材に菓子を作りたいと思いつつ季節に乗り遅れてしまう。

輪島市門前町の猿山岬灯台の雪割草も早春の能登の花の一つ。「雪割草」の由来とは、雪の残っているころに雪を割るようにして咲き出すことから。一般に「雪割草」にはキンポウゲ科ミスミソウ属とサクラソウ科サクラソウ属の2属があるが、猿山は、キンポウゲ科ミスミソウ属の群生地だ。さらにその中にはミスミソウやスハマソウという種類がある。「三角草」は、葉の先端が尖り三角形で三裂するところから。「洲浜草」は、葉の形が丸みを帯びて、洲浜紋に似ていることから。洲浜とは海岸などにできる島形の州を意味しており、平安時代から慶賀の式などに使用されたおめでたい文様。


一方で和菓子の洲浜は、きな粉と水飴を練った菓子だ。古くは、なまこ状に作った生地を竹の棒などを押しつけ窪みを作り断面を洲浜型になるようにこしらえたという。

雪割草というと可憐な花をつける山野草というイメージで、葉っぱの形など気に留めたことが無かった。でも和菓子にも縁のある由来を知って「スハマソウ」を作ってみたくなった。

自家栽培の白小豆のこし餡んで練り切り生地を作った。菊の花の形を作る要領で丸を三角棒で16分割してヘラで花弁を作ってみる。雄蕊が印象的なので篩で長めに押し出しケシの実を散らす。葉っぱは自家栽培の青大豆のきな粉と水飴で作った洲浜。お箸を3本当てて洲浜型の断面にして切ったものと、洲浜紋の木型で象ったものと二種類の葉っぱを作る。

しかし断面が饅頭型で縁に行くほど花びらが下がる形でなんとなく菊っぽい。というかぽってりと重量感があって菊だ。スハマソウの画像を見ながらではピンとこない。


絵を描くために下絵をスケッチに行くのはよくあることだから、「実物を見に出かけよう!」と思い立つ。車で30分程で能登半島の山間の集落から外海に面した門前町の皆月湾に出た。断崖絶壁の猿山岬の中腹に目指す灯台が見える。

猿山岬一帯は1968(昭和43)年に能登半島国定公園特別保護地区に指定され、動植物採取などは規制されている。駐車場から登り口に行くと、地元の禅の里づくり推進協議会の受付があり「猿山雪割草環境保全推進協力金」300円を支払う。近年の山野草ブームで盗掘被害もあり、「とるのは写真だけ、残すのは足跡だけ」と保全を呼び掛けている。自然散策路は急な山道のため青竹の杖を貸していただき出発した。

山道を歩き始めてすぐあちこちに雪割草が咲き乱れている。人が植栽したわけでもないのにこんなに沢山生えているのは不思議なくらい。右側は急峻な雑木林が海へと落ち込んでいる。さっき遠景で見えた絶壁にひしめき合うように可憐な花が根を下ろしているのだと思うと余計に愛おしく感じられる。

灯台を過ぎてから細い小道の両脇には、いよいよこの世のとは思えないほどお花畑が広がっていた。ムーミン谷か極楽浄土かというくらい咲き乱れる雪割草。週末は300人ほど人が来ると協議会の人から聞いたがこの日は平日だったのでほとんど貸し切りだ。頂上近いところにベンチがあったので腰を下ろす。

どうせ見に行くなら「スケッチをして帰ってから作る」より「そこで作る」ほうが簡単だ。なにせお手本が目の前にあるのだから。と練り切り生地を持参してきていた。だあれもいない岬のてっぺんで、「こんな贅沢ってある?」と満喫した。

最初は「花弁の切り込みを大きくしてみたら感じが出るか」としてみたけれど、どこかボッテリしてらしくない。「もっとつまんで花びらを細長くしたら」と試すも野暮ったい。と試行錯誤を繰り返す。実物の隣に並べてみるも天のお造りになったものに叶うはずもなく…

「花をつくる」という目的の他に「洲浜紋の形の葉っぱを見たい」ということを思い出し確認。なるほど確かに似ている。

そして雪割草があまりに有名で人気をさらわれているけれど、他にも春の山野草をみることができる。中でもスプリング・エフェメラル(Spring ephemeral)と呼ばれる以下の植物は、春先に花をつけ、夏まで葉をつけると、あとは地下で過ごす仲間。直訳すると「春のはかないもの」「春の短い命」というような意味で、「春の妖精」とも呼ばれている。

キクザキイチゲは下向きに上品に垂れて咲く花が美しい。白や薄紫の花弁を覗くとアネモネの原種なのだなと気がつく。

葉が三枚、萼が三枚、花弁が三枚の不思議な立ち姿に出会うとちょっとびっくりするエンレイソウ。

うちの周りに生えているムラサキケマンと似ているけれどもう少し大振りでニュアンスのある紫の花はヤマエンゴサク。

家に帰る途中、直売所で栽培した雪割草の苗を買って帰った。花同士をこすり合わせて受粉させ、出来た種を蒔く。花の色が親と違う色になったり、花弁が八重になったり、雌蕊が無かったりと交配して珍しいものもできるのだとか。庭で毎年早春に妖精に出会えたら楽しいだろう。

目を閉じて、岬で見た「スハマソウ」を思い出す。目を開いて練り切りにヘラを入れる。中心から外縁にすうっとせり上げるように運ぶ。花弁のエッジが少し軽やかになった気がする。