冬暖簾・夏暖簾

去年の今頃、自宅を改装して店を始めることになった時、「サインはどうしよう?なんだかあまり目立ちたくないな〜」と思った。ここは静かな山間の集落で、田畑に囲まれひっそりと人々の暮らしがある。その風景を壊す様に店のロゴやら看板が目に入るのはちょっと抵抗があった。毎日に開店できる訳でもないので、やっている日だけ暖簾を掛けるだけでも十分な気がした。

本棚に古い「暖簾」の写真集があって、何気なくめくると老舗の商店の写真がたくさん載っている。多くは木綿地に藍の型染めなどで屋号や紋などが染め抜かれている。シンプルで色数も少ないのに、洒落たデザインで店の心意気を感じさせる。何十年と変わらぬ歴史と信用、どっしりとした風格はブランドの原点だと思う。私なんてちっぽけで何の経験もないものだけれど憧れて、今このスタートに暖簾を作ってみたくなった。

京都を訪ねた時も素敵な暖簾に出会った。どっしりとした「茶一保堂」の文字が並ぶお茶の老舗の暖簾。亀屋末広の表の扇面にユニークな亀の茶色い暖簾も素敵だけれどお店の中の紺と白のものもインパクトがある。甘味処大極殿本舗 六角店 「栖園(せいえん)」の季節ごとの絵変わり暖簾。塩芳軒の暖簾をくぐると整然と並ぶ菓子の美しさに背筋が伸びた。

自分の店の暖簾を考える時、「豆の図案がいいかしら」「あんこ炊く時の道具を散りばめる?」などあれこれ考えたけれど結局、ロゴと「和ヲ以ッテ果子トナス。」という言葉を入れるだけにした。

デザインの仕事で暖簾を製作する時は、最近はデータで
入稿するとまるでカラーコピーをする様な手軽さで、データのままのイメージが出来上がってくる。その通りにできるのだから良いのかもしれないけれど味わいはない。そこで「デジタルのデータを基にしつつ手の味も欲しいんだけど」という無理なお願いを染色家の落合紅さんこと、手染めや椿姫さんに持ちかけた。


紺地に白抜きでロゴを入れた暖簾のデータを作る。写真にはめ込んでみたり、建具にロゴをプリントアウトしてサイズ感や高さを確認する。落合さんからは染め見本を見せてもらい本藍で染めてもらうことにした。まずはシルクスクリーンの型を作ってもらい、白抜き部分を糊で伏せてから藍で数回染めてもらう。

染め上がった布はデータにはない深みが増して、温かで凛とした佇まいに仕上がった。

ドキドキしながら一枚に繋がった反物にハサミを入れ三枚に裁って暖簾に仕立てた。上端は千鳥がけに、下端は断ちっぱなしでフサを残した。

夫に暖簾受けを作ってもらい竿に通すと入り口然としてきた。ちょうど六月晦日だったので夏越しの祓えにちなんで、暖簾にチガヤの輪をつけてお迎え。


通りに面したアテの木にも手拭いを吊るしておくと目印になっている。これは10月から6月頃まで使う冬暖簾。

暑くなってきたので白い麻生地に柿渋で文字を入れた夏暖簾もお願いした。前回のシルクスクリーンの型で反転して色を挿せばできるのかと思っていたら、柿渋は顔料なので型染めになるということだった。今回は落合さん自らデザインナイフで極細かい型紙を切り抜いていただいた。おまけに文字がバラバラにならない様、紗を貼るという緻密な仕事。

大豆をすりおろした呉汁で地入れをしてから文字の周りに糊を置き、伸子で布を張って柿渋を入れていく。
 

柿渋が硬化してから洗い流してようやく柿渋の文字が浮かび上がる。「柿渋は日光に当たって時間が経つほど色が濃くなるから日差しの強い夏には向いている。」と落合さん。時間をかけて育っていくのが楽しみだ。

この暖簾の前でお客様は「こんな山奥で何が始まるの!?」という期待感。私はこちら側から「わくわくを伝えたい」「里山の大変!も知らせたい」「精一杯の仕事で応えなきゃ」と襟を正す。たった一枚の布だけれど、劇場の幕をあげるようにドキドキしながら暖簾を掲げる。