第16回 秋田と日常使いの器 vol.1

秋田と日常使いの器

 今は器ブームで、世の店にはさまざまなテイストの器が並んでいるけれど、僕の好みは「気取りのない器」。
 プライベートで使う器はもちろんのこと、店で並べる器であっても、「作家もの」であるとか「民藝陶器」であるとか「プロダクト品」であるとかのカテゴライズについてはあまり関係なく、「手と目と心になじむかどうか」という自身の直観の方を大事にしています。
 肩肘張らずに使えることがいちばんだと考えているので。

秋田と日常使いの器

 器というジャンルは「丁寧な暮らし」という文脈で語られることが多いけれど、そういったコピーを意識し過ぎてしまうと、本来心をゆるめるべき日々の暮らしが教条主義的なものに陥ってしまいそうな気もします。
 仕事をしたり子供の世話をしたりしていれば、丁寧に暮らせる穏やかな日ばかりではなく、どうしても丁寧に暮らせない慌ただしい日だってあるでしょう?
 僕はそれでいいと思うし、だからこそ、器には、今日がどんな日であっても、気取らずに本音で語り合える友のような存在でいてほしいと思うのです。

秋田と日常使いの器
 昨年の話ですが、秋田に引っ越した知人・Iさんが、地元のクラフトマーケットで手に入れたカップ&ソーサーの画像を見せてくれたことがあります。
 土が持つ力強さを引き出した素朴な造型は、僕が考えている「気取りのない器」というイメージにぴったり。この器に似合うのは、きっと何気ない日常のひとコマ。けっして丁寧とは言えない飾り気のない食卓であっても、大らかな雰囲気で包み込んでくれそうな器でした。

秋田と日常使いの器

 制作したのは、秋田市内にある中嶋窯という工房。
 はじめて名前を聞く工房だから、手にしたことなどないはずなのに、画像で見たカップ&ソーサーのたたずまいには、デジャブのような不思議な感覚をおぼえました。そこで、この春、窯主の中嶋健一さんに会うため、直接現地へ。
 窯主としてはまだ若い中嶋さんですが、工房で出会った器たちに宿っていたのは、「ベテラン?」と思ってしまうほどの落ち着き。そして衒いのなさ。
 そこには、彼がかつて師事した師匠の制作姿勢が強く影響しているように思えました。

 そのあたりについては、次回、もう少しくわしく語ってゆくことにしましょう。