タンニンと鉄

ひとことでぼくの野菜の特徴をいうならば、それは葉色のよさ。
光合成を活発にする鉄分を意識的に取り入れている。

まず、粉末にした茶葉を使い水出しする。茶に含まれるタンニンと鋳鉄が反応すると、黒い液体になる。そのミネラル液を、土や野菜の葉面に散布する。すると土壌中の微生物を活性化し植物の根は生長を促進させる。

鉄分は光合成する際の必須要素だから、葉色が向上する。代謝がスムーズになることで、ストレスを感じさせない優しい味の野菜になる。ただし、鉄分といっても「鉄」自体は変幻自在のとても不思議な物質で、目の前にある鉄の塊をそのまま使っても効果はない。タンニンと組み合わせることで効果がでる。

雨が降る。落葉樹が堆積させた腐葉土の中のタンニンを取り込んだ水は、地中の鉄分と反応しながら生物に必要なミネラルを含み、やがて沢となり川となって海へと注ぐ。それが光合成をする植物性プランクトンの発生を促す。タンニンと鉄は自然のサイクルの中で見事に循環し結合していたらしい。自然は懐が深い。

この現象は古くから人間の衣食住に活用されてきた。例えば泥染めはタンニンを多く含む植物を煮だして布を浸し、鉄分の多い田んぼの泥土を溶かしたもので媒染し、何度も川で洗って染め上げる。亜熱帯で腐葉土層が形成されにくい琉球諸島では、マングローブの木皮を煮だしたタンニンを含むアク汁で漁網の保存性を強化したそうだ。おそらく、繰り返し使うことで漁網に染み込んだタンニンが海中の鉄分と反応した。つまり、人間の営みもまた自然の循環に貢献していたのではないか、なんて自分勝手に解釈しては、農園の健やかな野菜の葉色をみてはほくそえんでいる。

子どもの頃、落葉樹が豊かな雑木林を歩き回り、見つけた小さな柿を齧ったら、あまりの渋さに舌が痺れて歯が軋む感じを今でも思い出す。「なぜ、渋いのだろう」という素朴な疑問があった。あとになって「渋さ」は、周りの環境から身を守る一つの要素だと教わった。

農に携わっていると、忘れ去られていきそうな生活文化に、人間の都合で無益だと決め付けられてしまった自然の中に、じつは人が営みを永続するために必要なgiftが隠されていると実感する。森はその宝庫だ。自然界には、鉄の循環を妨げる障害物がたくさん存在する。しかし、なぜか渋味の要素であるタンニンと結びつくことによって、不安定な鉄が生物に取り込みやすい必須のミネラルとして、生命体に巡ってゆく。不思議だけど、これが森の力だ。だからこそ、昔の人は経験知から森を、そして山や水源、川そのものを畏敬することを忘れないよう神格化し、鎮守として守ってきたのかもしれない。

最近とくに貝類や海草類の不漁など取沙汰されることが多い。そりゃそうだろうよ、日本中の森の至る所が、もはや管理することさえも放棄された無機質な林に変貌させられてしまったのだから。ウエンダの裏山に入り、腐葉土がとうの昔に削がれ落ち、砂礫層が露わになった杉と檜の林の中を歩き回ると、いまこの環境が、野生動物も植物も、そして川も海も、深刻なミネラル不足に陥っているような気がしてならない。

ん〜、そういえば。今朝、電柵もしてない隣の畑の野菜をスルーして、わざわざウチんとこの野菜、鹿が食い散らかしにきてたな・・・。

 

 

※タンニンと鉄を組み合わせる技術は、一般社団法人 鉄ミネラルが保有する特許技術です。

※参考文献:渕上 ゆかり, 上須 道徳, 石丸 香苗, 渕上 佑樹, 谷口 真吾(2020)西表島の社会情勢に伴うマングローブ利用形態の変遷―利用を通じた資源管理の一事例― (『島嶼研究』21巻1号p39-51)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jis/21/1/21_39/_article/-char/ja/