タネからはじまる雑感

日曜日になると、7歳の娘と3歳の息子が畑に遊びにくる。無邪気に遊んでいる姿をみながら、ぼくは無意識にタネのことを考えている。

タネを継ぐって、そもそもタネってなんだろうって、思う時がある。ぼくの農園では、在来種・固定種、もちろんF1種も都合によって使い分けているけれど……。

亀の尾。ぼくは以前、明治時代に東北地方で作付けされた、この旧いイネ品種のタネを、ある酒蔵から分けてもらい、毎年採種しながら栽培していた。旧い品種は、強風に煽られても倒伏しないように仕立てられた、ぼくたちがみている背の低い稲とは、様子がだいぶ違う。背が高く、大粒の籾の先に芒があり、留葉より穂が上がるので強風に弱く、とにかく栽培しづらい。ただ登熟すると圃場一面、えもいわれぬ美しい金色の草原のような景色になる。

亀の尾はもともと冷害で凶作だったある年に、冷たい水口の付近に元気よく育っていた一株を抜粋してそのタネを増やし、低温に強い品種として東北の各地で栽培され継がれてきた経緯がある。だからだろうか、この旧い品種を栽培すると実に様々な個性の株が出現する。芒のないもの、芒が赤いもの、背が高いもの、低いもの、一つ一つ見ていくと個性の違うタネが混じり合った「集団」、それが一つの「品種」という括りになっている。様々な個性があるからこそ、冷害やその他の天変地異があっても「集団」として適応性が生まれ、未来に継ぐことができる。それが多様性のもつ包容力で、自然界には何一つ無意味なものなどない。タネから学ぶべきことはとても大きい。

娘は、トリソミー21、ダウン症だ。社会的には知的障害者、かもしれない。未だ会話で意思疎通も困難だし、身の回りのことも一人ではできないが、身体的にも知的にもゆっくり成長する子どもという感じで、ぼくも妻も彼女に対してさして「障害」を感じてない。むしろ柔らかくてやさしい雰囲気に唯一無二の不思議な魅力を感じている。そして、なによりも生きることにひたむきだ。

保育園の時だった。ある事情で転園をした。その後、元同じ組だったある女の子が、担当の保育士と相性が合わず通園できなくなった、という話をその子の保護者から聞いた。その時どうやら、うちの娘に慰めてもらっていたらしい。それが支えで毎日、頑張って登園していたそうだ。涙が出そうになった。娘はまわりが理解できるほどには喋れない。だからどのようなコミュニケーションでその子を支えていたのかわからないけど、偶然街で娘とその子が再会した時、その女の子が喜んでいたことを、ぼくは思い出すたびに切なくなる。

だれがかしこく、だれが賢くないかなんて全くわからない。宮沢賢治の『虔十公園林』の一節を思い出した。日曜日、子ども二人が畑で遊んでいるのを眺めながら、幼い頃に出会い、大学生の頃に読み返したこの小説で賢治が描こうとしたことを、僕はこの年になってまた思い返している。