善知鳥(うとう)

除草剤を使わないイネ栽培は、毎日観察し、旺盛に生える草たちを人の手で上手く抑制するところにコツがある。田植え後、10日以内に最初の除草を仕掛ける。イネが日光を支配できるようになるまで、約2週間おきに3回ほど動力付きの田車を走らせる。田んぼをひたすら往復して水面をかき混ぜ濁らせて草の光合成を妨げる。芽を切った水草を浮かせながら酸素を供給し、土を育てながらイネの生長を促進させるこの作業は、単純作業の反復でかなりの時間と体力を使う辛い作業だ。手を抜くと刈り取りの時と収量に泣く目に遭うのを知っているから、今日も独り黙々と、この作業をやり続ける。

撹拌することで酸素が行き渡り、微生物の豊富なトロトロの泥ができる。
撹拌することで酸素が行き渡り、微生物の豊富なトロトロの泥ができる。

田んぼを往復している間、あれやこれや考える。今日は身体のことを考えた。田んぼの移動は泥に足を取られないようにしっかり足裏と臍下に重心を意識して、上半身はリラックスさせる。踵が上がらないように、そろりそろりと平行をイメージして前進する。無理やり身体を動かしたり、方向転換したりしようものなら即、泥につかまってバランスを崩す。田んぼに足を入れるときは、自分が田車とともにどう動くか足の運びを確かめて息を整える。これってお能の基本だよね、と言い聞かせながら、昔習った観世流の謡曲を思い出す。往復しきるには余るほどの時間があるので、京都で住み始めたときに出会った暗黒舞踏を思い起こしてみる。顔は白く塗り、白装束の女性が、情念を空に描くように身体を捩り拗らせ舞踏していた。見た目のインパクト以上に、ぼくは土方巽の薫陶を受けたというその舞踏家の表現に、農耕的な匂いと日本人の体型的な特性を強烈に感じて、しみじみ感動した。思い返せば、この時の経験がきっかけで日本の伝統的な身体感覚に関心を持ち、観世流の先生のもとで謡を習い、時間があれば観能に出かけた。

ぼくの好きな演目は「善知鳥(うとう)」。自分の家族を食わせるために、仕方なく親鳥の習性を利用して雛鳥を捕獲してきた猟師が、その残酷な殺生から地獄に堕ち亡霊となって自分の所業を嘆く話。動植物を相手に生業とする人間の性や葛藤をドラマティックに表現していて、ぼくら農家にも共感できる。それぞれの植物の特性をしっかり把握しながらコントロールして収量を確保したり、獣の行動を把握し作物を食害から防御したりして家族を養う自分と重ねてしまう。

完全に雑草を消してしまうとはそこを住処とする生物をも滅することになる。
完全に雑草を消してしまうとはそこを住処とする生物をも滅することになる。

なーんて思いながら、まだ除草作業は終わっていない。側から見たらなんでこんなクソ暑い時期に、わざわざ汗だくになって田車押してるんだって思われるかもしれない。除草剤を使ったら、何もこんな苦労することはない。自分自身の健康や家族のことだけを考えて永く農業するのであれば、使うのも有りかもしれない。でも、ぼくの身体が動くうちは手を出したくない。使った途端にこれまで培った観察する眼を失いそうで、また一つ自然の調和を崩してしまいそうで怖い。炎天下のこの辛い作業を、独りでやり続けられる原動力は、炊き立ての新米の味わいと香りを求める執着だ。ウエンダのコシヒカリは、透明感があってなんとも儚い甘みがあって艶がある。それを表現したいから、毎年再現したいから、ぼくはひたすら動力付き田車でもって、田んぼを往復し続ける。

ウリカワ
コナギ
タゼリ
オモダカ