明かり採り

蛍の~光・・・窓の雪~・・は夜の明かり採り。
暗い部屋にホタルが居ればそれだけで小さな明かり。窓からは雪明かりが、降り積もった雪に反射する月光となって射し込んでくる。暗くなければ愛でることのできない静寂の空間だ。
昼の明かり採りは?
校庭に面した教室の”全面ガラス”みたいな壁面は、部屋の明かり採りの大きさとしては最たるものだろう。たしかに明かり採りには違いないのだろうけど、変に効率的で無機質という印象でしかない。ただ明るいだけで情緒的要素はまったくない。
明るい家を欲しがる人が多いが、それは昼の明かりを想定しての話。夜はどうする?
日本人は夜も真っピカリにしたがるが、それではせっかくの夜の暗さを楽しめない。たまには部屋を暗くして庭園灯の点いた庭をながめるのも一考ではないか。暗い湯船に浸っての風呂庭もよさそうだ。
ハッピバースデーはローソクの灯りで歌うもの。たまには電灯のない夜を楽しむことも必要ではないか。日常生活にメリハリがつく。
いまどきの暗さはつくり出すものなのかも知れない。

明かり採りの代表はステンドグラスだろう。ステンドグラスは窓というよりそれ自体が”モノ”として感じられる。太陽を直接採り込んだり、その向こうの太陽の光を感じさせる窓とは違うような気がする。その意味でステンドグラスは明かり採りというよりも、逆光で光る色ガラスの飾り物と捉えるほうが納得できる。色ガラスを使ったランプシェードのようなものか。にぎやかだから受けいれるのも人による。
どこで出会ったか、小さな天窓をあ然として見上げ続けたことがある。
せまい作業場のようなところで、屋内に井戸があったから豆腐づくりの現場だったような気がする。天井の張られていない薄暗い空間を見上げると屋根瓦1枚分くらいの天窓から光が差し込んでいて、神々しいくらいの雰囲気がかもし出されていた。
たまたま休みだったのか、案内してくれた友人以外に人はおらず、降りそそぐ光に感動しながらしばらくボーッとしていた記憶が残っている。天窓の感動を設計に活かさない手はない。
小説家に”理想的な書斎”を語ってもらうアンケートのようなものがあった。
名前は忘れたが「三畳の部屋の短手の壁に向けて座卓を置き、左手の壁の、外が見えないくらい高いところに小さな窓が一つ。そこからのみ外の明かりが差し込んでくるような・・・そんな書斎がもっとも集中して仕事ができそうな気がする」という人がいた。
部屋のつくりは充分に想像がつくし集中できそうな空間であることも察せられるが、よく考えれば独房そのもの。明かり採りのための小さな高窓は独房では唯一社会とつながる希望の窓。書斎との違いはわずかに鉄格子のみ・・・独房で集中?
「明かり採り」は小さい方が夢と希望をふくらませてくれるのかも知れない。

見上げる先の高窓や天窓には独特の雰囲気がある。ムーディな空間をつくろう!

明かり採り