京町家

先日、チルチンびと京都研修に参加した帰り、恩師が暮らす京町家を訪ねました。

京町家

 

久々の京都。たぶん10年ぶりくらい。恩師は京町家の保存も兼ねこの家に暮らしている。通り土間と中庭があり、日本人の地べたへの愛着を再確認する。平屋論を書いている最中も度々追想した京町家はこの家。2階建てイメージがある京町家だが、室町時代にはほとんどが平屋。都が変わり栄えるにつれ、厨子2階があらわれ総2階になりその後3階建てまで建った。そうなっても台所は地べたに接する通り土間にある。充実した1階部分には、たしかに暮らしの重心を感じる。

また、格別な体験といえばその心地よい「暗さ」だった。席に着き茶をすすり昔話に花が咲く。時間が経つにつれ部屋の暗さに目が慣れてくる。帰り際、その暗さは暗さではなく、部屋の快適な明るさだと気づく。以前、酷暑に訪ねた不審庵でも、その深くふっきれた暗さ、いや、庭木によって最小限に抑えられた貴重な明るさが、温度計では測れない特別なひんやり感を体感させてくれた。現代の家は隅々まで明るすぎる。何でもかんでも明るければいいというものではない、陰翳礼讃ではないがヒトにだって明るい面と暗い面があるでしょ。エコといえば LEDで全般照明、そういった発想自体をそろそろ見直すべきなのかもしれない、そう思った。