チルチンびと 別冊67号「民家の再生と創造④」
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豪壮な藍屋敷と 藍住町の試み 改修設計=木下龍一 写真=eolie 文=鈴木和宏 かつて藍産業が発展した徳島県には多くの藍屋敷が建てられたという。  その一つ奥村家住宅は、現在は「藍の館」として公開されている。 奥村家住宅の再生に携わった木下龍一さんに案内してもらった。 当時の繁栄を物語る 豪壮な建築群  藍の生産量日本一を誇る徳島県では 古くから藍産業が発展し、藍で莫大な 利益を得た藍商人たちは競って豪壮な 「藍屋敷」を建てたという。藍住町に ある奥村家住宅はその代表的なもので、 1987年(昭和 62 年)に県に寄付さ れ(徳島県の有形文化財に指定)、現 在は「藍の館」として公開されている。 「暴れ川の異名を持つ吉野川は、かつ ては毎年のように台風で氾濫しました が、そのとき上流から運ばれる肥沃な 土が藍栽培に適していたといわれてい ます」と「藍の館」館長の森美つ子さん。  奥村家住宅は藍商として成功した奥 村家が、1808年(文化5年)から 1887年(明治 20 年)頃にかけて建 てた 13 棟からなる藍屋敷だ。藍の取引を行う主屋を中心に、取引客を接待す る宴会場(西座敷)、寝床と呼ばれる 藍染料の加工場、奉公人部屋などから 構成される。藍染めのもとになる天然 染料「すくも」は、葉藍を発酵・熟成 させてつくる。3棟の寝床は藍屋敷の 特徴的な建物で、葉藍の寝かせ込み作 業のためのさまざまな工夫が凝らされ ているという。  戦後、ドイツの化学染料の登場によ り藍産業は衰退していくが、藍住町で も 20 年ほど前に藍栽培が途絶えてしま った。これではいけないと町が立ち上 がり、協力隊を募ることにした。町内 に7反ほどの土地を借り、藍栽培から すくもの製造、藍染めまで一貫した工 程を復活させつつある。協力隊には県 外からも若者が集まっているという。 貴重な藍の文化が次世代に継承される ことを願うばかりだ。

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