チルチンびと117号「窓辺の緑」
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緑の中の大らかなつながり   6月の初め、建築家・益子義弘さんのご自 宅を見学する機会に恵まれました。実は初め ての訪問です。気持ちが昂りました。  大通りから横道に入った突き当りの鬱蒼と した丘が敷地です。最初の家を建てた 53 年前 は雑木林の中の裸の造成地だったと聞きまし た。その後、親戚の家が2軒と仕事場である アトリエも加わり、小さな村ができています。   3軒の家とアトリエはそれぞれの暮らしと 場所の条件に合わせてプランも屋根の形も異 なります。お互いの気配を感じさせながら、 煩わしくならないように気遣いのある計画で す。境界はあるが仕切りはなく見えない。そ れぞれが自由でいて、仲良く見えます。  それには長い時間をかけて手入れされてい る庭の草花、大きく育った樹木も影響を与え ています。「庭は腰から下は昭子さん、腰か ら上は僕の仕事」益子さんのことばが印象に 残ります。  一番北に建つ家が益子さんの家。完成後に 家のそばに植えた2本の欅は巨木になり、こ の小さな村のシンボルツリーになっています。  風抜き用の袖窓のある玄関扉を開けてホー ルから居間に入ると、庭に面する大きな窓の 先に木々の緑が広がっています。日除けを兼 ねるブドウ棚には透き通るような若葉の間に 小さな実がたくさん付いていました。桜や草 花が咲く春はもちろん、ブドウの食べごろや 紅葉の秋、葉が散った木立の間から家並みの 灯りが見える冬の夕暮れ時の風景も見てみた いと思います。  最初の家は、一辺6メートルほどの立方体 の箱を基準に考えられました。2階の北東部 は寝室のために一部を残し、あとは片流れの 屋根をつくるために削り取った単純な形の家でした。その後、子どもの成長や暮らし方に 合わせて寝室、ダイニングキッチン、2階に 和室を増築しています。それが最初から計画 されていたように自然に感じてしまいます。 これが設計力なんだと思いました。  各部屋で感じる落ち着いた安心感と上品な 感じはどこから生まれるのでしょうか。部分・ 部材がきちっと納まり、寸法の取り方にあま さがなく、空間にしまりがあります。ひとり よがりでない家、きちっと衿を正している家 だと思いました。  帰りは、家の北側から丘を降りてアトリエ を見せていただくことにしました。道すがら、 昭子さんが手をかけた草たちが小さな花を付 けていました。  傾斜地を掘り込んでつくられた2階建てで、 上の階の入口から中に入ると作業机前の横長 の窓いっぱいに庭の緑が広がっていました。 鳥の巣箱もあちこちに見えています。  長い時間をかけてつくり上げてきた庭の草 花やさまざまな低木と大きく育った樹木。暮 らしの変化に合わせて時間をかけ手を加えて きた家々、それに鳥たちも参加するオーケス トラ。曲目は日毎、季節毎、年毎に変化して きました。これからも変わり続けていくけれ ど、奏者は変わってもこのオーケストラは残 ってほしいと願っています。  益子さんご夫妻が設計した家々とそれを取 り巻く大きな緑の環境を見せていただいて、 昔読んだ 19 世紀イギリスの哲学者、ジョン・ スチュアート・ミルの文章を思い出しました。 「人間が大きな気宇をやしなうのに、その住 まいの大らかさ自由さくらい大きな力をおよ ぼすものはない。」(『ミル自伝』朱牟田夏雄 訳 岩波文庫) 2023年7月2日 建築家・田中敏溥

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