住宅雑誌『チルチンびと』101号 -庭のいろいろ-
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20縁側を考える住まいと庭をつなぐ中間的領域である縁側。日本建築史・日本庭園史を専門とするエマニュエル・マレス氏が、夏目漱石の文学に登場する縁側について論考する。文=エマニュエル・マレス夏目漱石の住空間上で近代日本を代表する小説家夏目漱石を象徴するものであり、そして我々が想像する以上に彼の作品に大きな影響を与えた、重要な文学的空間でもある。『硝子戸の中』 漱石の小説や随筆などを読み返せば、建築的な、とりわけ日常生活が行なわれる空間的な描写が非常に精密で、正確であることに驚く。『処女作追懐談』の中で、漱石は小説家を志すよりも前に、建築家になりたかったというほど建造物の構造や空間の構成、またはその使い方などに深い関心があったと思われる。小説を綴るとき、漱石は主要な建物の図面やスケッチなどのようなものを描いていたのかどうかはわからないが、矛盾する記述はいまだに見当たらないので相当注意を払っていた点であろう。今となっては、漱石が残した多くの作品は明治期の建築とそこで行われた日常生活の貴重な証言集として読み取ることもできる。 漱石山房記念館に復元された書斎を訪れたとき、私は博士論文を書いていた頃のことを思い出さずにいられなかった。特に書斎の縁先に出た瞬間、小品に描かれたさまざまな場面が次々と頭に浮かんだ。 まずは『文鳥』という一篇がある。ある「初冬の晩」に漱石は弟子の鈴木三重文豪の住処 もうすでに2年ほど経ってしまったが、夏目漱石の生誕150周年に合わせて漱石山房記念館ができた。夏目漱石の作品にあらわれる縁側について博士論文を書いた私にとっては、とにかく愉しみであった。そんな企画があるということ自体は前から聞いていたが、具体的にどのようなものが建つのかはよく知らなかったので興味津々であった。 漱石山房記念館は地下鉄東西線の早稲田駅から南に上がっていく夏目坂より東、激しい車の往来から隔たれたのどかな住宅街の奥に佇む。そこは漱石が晩年を過ごした旧宅、漱石山房が実際にあった場所である。戦争中に焼失した後は都営住宅が建てられたようだが、長年温められてきた企画がようやく日の目を見て、2017年に漱石山房は記念館として蘇った。 蘇ったと言っても、旧宅がそのまま復元されたわけではない。1階にはエントランスとカフェ、地下1階には図書館、そして2階には展示スペースのある現代的な建物。結局復元されたのは旧宅の東半分、客間と書斎とその周囲に巡らした縁という、文豪の住処のみであった。一部にすぎないが、この空間は我々の想像

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