田中敏溥大全 -人と仕事- 設計② 雑誌「チルチンびと」75号掲載
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所にも現れる。離れのように生活空間と分けるのではなく、ペレットストーブのある茶の間に隣接させた。襖や障子の開け閉めでふだんは茶の間の一部として使い、茶器を置けば茶室、布団を敷けば客用の寝間にできる。「これが日本の知恵、畳の素晴らしいところ」と田中さん。ベッドにテーブル、欧米の生活様式が流入して日本の暮らしは大きく変わったが、「靴を脱いで素足で歩き、ごろ寝をし、身体すべてが接する床の良さだけは変わらない。しつらえ次第で、用途に応じて転用できる空間は、日本建築だけのもの」と語る。 今回に限らず居間の一角に和室を設けることの多い田中さんだが、卓袱台を置くのも定番だ。木下邸では娘夫婦と孫4人が遊びに来ると、皆が卓袱台を車座に囲む。「私は田舎育ちのせいか、ソファとテーブルはどうもよそよそしいと感じてしまう」と田中さんは笑う。「それに卓袱台は角がないから、皆が仲よくできるのがいいんですよ」。生活の重荷になるようでは、楽しめなくなってしまうから」。 そこで田中さんが考えたのは、「ふだん使いの茶室」。網あ代じろ天井や聚じゅ落らく壁は使わず、床とこも簡略化し、仕上げもシンプル。襖紙には、はっと目を惹く山吹色を見繕って軽やかに。水屋こそ設けているものの、堅苦しさはみじんもない。「仰々しくないのに素敵でしょう? 家のなかでいちばん好きな場所です。とても落ち着くんですよ」と奥さんはにっこり。 茶道口・貴人口の関係など、四畳半の定石から少々崩しているところもあるが、茶室の歴史を遡れば近い構成はあると田中さんは言う。「茶室は利休が革命を起こしたように、その本質は自由なはず。茶道もまず楽しめることから始めてこそ、豊かなひと時を過ごせるのですから」。「ふだん使い」は、茶室を設けた場 軽やかな茶ちゃ筅せんの音とともに、かすかに立ち昇る抹茶の香り。茶器にそっと手を添えると、呼吸を整え口元へ。おのずと背筋がのび、ここちよい緊張がみなぎる。そして厳かに一服いただいた後は、ほっと一息。 茶道歴2年の奥さんは「人前だと、稽古よりも緊張するわ」と言いながらも、楽しそう。手にした茶器に目を落とし、しみじみと語る。「生活って、細々とした雑事に流されてしまうでしょう。暮らしに〝和〞があると、気持ちが引き締まり、自分と向き合うことができるんです」。 定年をきっかけに、都心を離れ軽井沢に移住した木下さん夫妻。避暑で訪れていた豊かな自然が気に入ってのことである。設計を依頼したのは、田中敏溥さん。「凛としていて、のびやかな」木の家に強く惹かれた。 新居の完成とともに、奥さんが楽しみにしていたことが、一つある。それは念願の書道と茶道に、我が家で本格的に取り組むこと。「ただ、あくまで無理なく学びたかったんです。欲しかったのは、等身大の茶室。楽しむところから入る茶の世界。「仲よく」とは、田中さんの設計のキーワード。人と人、家具と空間、住まいと庭、そしてまちなみ……そうしたものの「間」をつなぐものが、「気持ちがいい住まい」だと言う。「一人でいることも、人とつながっていることも、気分に応じて選びたい。おおらかで自由が感じられる家がいいんです」。だから、一つひとつのデザインは主張し過ぎない。和のデザインも然り。絶妙な塩梅で日本の懐かしい暮らしを取り入れ、自然に「和」が暮らしにきざすから、気持ちがよい。 さて、田中さんによれば木下邸の「いちばんのごちそう」は、雄大な浅間山が絵のように一望できる北側の食堂。「この年になると、自然が身近にあるのが何より」と奥さん。早朝からご主人と散歩に出て、茶室をはじめ住まいを彩る山野草を摘むのが日課だとか。「毎朝、感謝するんです、こんなに幸せでいいのかしらって。この家での暮らしは、これまでの人生のご褒美ですね」。おおらかで自由だから、和のある暮らしは気持ちよい40

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