雑誌「チルチンびと」92号掲載 「小笠原からの手紙」 
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103さんいるオカヤドカリ、天然記念物なんかにしなくてもよかったのに」と感じている。オカヤドカリたちは身近な生きもので、当たり前のようにそこにある島の風景なのだ。もしも天然記念物ではなかったら、誰でも簡単に大量に捕まえることができるので、あっという間にペットや釣り餌として売り払われてしまうかもしれない。 オカヤドカリ類は草の葉、果実、動物の死体など何でも食べる。夏のビーチ、木陰でお弁当を広げていると、どこからともなくムラサキオカヤドカリがやってくる。臆病なのか勇敢なのか、においを感じる触角を揺らしながら、お弁当をおねだりするのだ。個体数の多い彼らは、小笠原の生態系の中では主要な分解者として、有機物を植物が再び利用できる物質へと戻す役割を担っている。そして、彼らはもともと海の生きものである。とつを回している。ヤドカリゲート 父島東平は野生化したヤギとネコの侵入を防ぐ柵で囲まれている。希少植生と絶滅が危惧されるアカガシラカラスバトの繁殖を守るため、環境省が設置した自然再生区だ。柵はヤギとネコだけでなく、オカヤドカリ類の移動を妨げてしまう。たくさんいるとはいえ、彼らは海と陸を繋ぐ循環を回すのが仕事だ。移動できずに柵沿いにたまったオカヤドカリたちを何とかしようと、関係者で善後策を講じた。そして、ヤギやネコは入れないが、多くのオカヤドカリ類が行き来できる4センチ×6センチの穴を開け、効果を確認した。当た アフリカマイマイの定着によって、父島と母島のオカヤドカリ類は貝殻のサイズに合わせて巨大化した。父島で調査を行った結果、オカヤドカリ類の9割以上がアフリカマイマイを背負って生きていることがわかった。この変化を、人が持ち込んだ外来生物による悪影響の一つとして捉える場合がある。しかし、当のオカヤドカリたちはアフリカマイマイの貝殻を手に入れ、喜んでいるように感じる。アフリカマイマイは大発生したため、豊富に宿貝が手に入る時代となった。また、大型化することによってクマネズミのような捕食者から襲われにくくなり、また、たくさんの卵を産めるようになり、繁殖力が向上するなどのメリットがありそうだ。くならない。今でも、無人島の兄島ではそれは変わらない。一方、父島と母島では人が暮らすようになり、オカヤドカリたちの世界は一変した。アフリカマイマイ時代の到来 アフリカマイマイは貝殻の大きさが10センチを超える大きなカタツムリだ。小笠原には1935年頃に食用や薬用のため持ち込まれ、父島と母島だけに定着している。海外では缶詰などにエスカルゴの代用品として安価なアフリカマイマイが使用されることがあるそうだ。学生時代に江ノ島周辺の屋台で食べたサザエの壺焼きは、中身はアカニシというまったく別の巻貝であった。安いサザエには注意が必要なのだ。Nature佐々木哲朗(ささき・てつろう)1976年生まれ。東京都調布市育ち。小笠原自然文化研究所副理事長。大学生時代にアオウミガメの調査ボランティアに参加するため、初めて小笠原を訪れる。青い海と不思議な自然に魅せられて後に移住。上/柵によって移動が妨げられたムラサキオカヤドカリ。 下/保全工事アドバイザーの宮川典継氏とともに、ヤドカリゲートのデザインを検討した。上/アフリカマイマイの貝殻を背負ったムラサキオカヤドカリ。大きさは10㎝を超える。 左3点上から /父島と母島のオカヤドカリ類を巨大化させたアフリカマイマイ。 /カタマイマイの貝殻を背負ったムラサキオカヤドカリ。大きさは2㎝ほど。 /兄島のオカヤドカリ類。アフリカマイマイが侵入していない兄島では、カタマイマイ類や海の巻貝を宿貝にしており、大きさは数㎝と小さい。 海と陸を繋ぐ オカヤドカリ類は天然記念物に指定され保護されている。しかし、島民の多くは、「あんなにたく 母ヤドカリは海岸で卵から孵化した幼生を海へと放出する。放たれた幼生はプランクトンとして海を漂い、やがて稚ヤドカリとなって海岸にたどり着く。小さな貝殻を背負い、活動の場を陸上へと移す。小笠原の海と陸を繋ぐ、循環系の一つひり前のようにそこにある島の風景は、いつまでも島の風景であって欲しいのだ。

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