雑誌「チルチンびと」91号掲載 「小笠原からの手紙」 
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133裏に多く付着しているので、高い確率でウミウシを見つけることができるからだ。転石の下は魚、カニ、クモヒトデやウニなどの大型の生物が隠れ家にしている。さらに、石の裏側には赤や黄色など色彩豊かな固着動物がカーペット状に付着し、その表面にウミウシや微小な甲殻類が暮らす。転石が生物を呼び込み、生物がまた生物を呼んで、濃密な小宇宙が形成される。陸上生物では考えられない派手な色彩や摩訶不思議な形をした生物も多く、小さな異世界だ。海蝕洞 この異世界が壁一面に広がる場所がある。母島の沿岸にそびえ立つ四本岩もその一つだ。四本岩の中央には、波の浸食によってできた海蝕洞がある。潮止まりにボートから海中に潜り、恐る恐る洞窟へと進んでいく。波が岩を叩き、表層はイソマグロが群れ、荒々しい雰囲気だ。心を落ち着かせ、薄暗い洞窟内へと潜行し、壁を水中ライトで照らすと、そこには転石の裏で見た色とりどりの固着動物が一面に広がっているのだ。もう、生物というよりフレスコ画のような世界である。壁伝いにゆっくり進みながら、絵の中からウミウシを探していく。見つけては写真を撮り、標本にする個体をサンプルケースに収めていると、あっという間に時間が経っていく。おわりに 調査では現在までに約70種のウミウシが見つかっている。小笠原では過去に学術的には記録のなかった種を多く含んでおり、いかにこのグループの調査が小笠原において道半ばであるかを示している。興味深いのは、その中に本州沿岸や琉球列島では見られない、ハワイやニューカレドニアなど太平洋の中央に分布する種が混じっていることである。小笠原諸島は日本地図の中では伊豆諸島の南、沖縄と同緯度の島々だ。しかし、太平洋の地図を広げると、小笠原はミクロネシアに隣接し、さらに東にはポリネシア、ハワイ諸島を臨む太平洋島嶼の一部なのである。大変なことになる。これらは刺胞という肉眼では見えない小さな毒針が体に発射されることによって起こる。ミノウミウシの仲間には、餌から刺胞を未発射の状態で体内に取り込み、背中にある突起に配置して身を守る種がいるのだ。ウミウシの仲間はこれ以外にも、海藻を食べるグループ、他の固着動物を食べるグループなどさまざまあるが、餌から身を守る物質や構造を手に入れるものが多い。海洋生態系 ここ数年、東京都のプロジェクト調査として、私たちは研究者と島のダイバーからなるチームを組み、精力的に海に潜って生物データを集めてきた。世界自然遺産に登録された小笠原諸島の自然は、海と陸を一体的に保全する必要がある。しかし、小笠原の海中にはどのような特徴的な環境があり、どのような生物が暮らし、何が小笠原らしい海の姿なのかをもっと知らないと、保全すべき世界が見えてこない。この奇妙なウミウシたちも海洋生態系の構成要素の一部だ。はたして小笠原らしいウミウシの世界とはどんなものなのか。転石 調査でウミウシを探す時、海底に堆積した転石をひっくり返していく。ウミウシの餌となる固着動物は石のハワイやマーシャル諸島、ニューカレドニアなどの中央太平洋を中心に生息するウミウシが小笠原でも確認されている。上から/Goniobranchus vibratus。/Hiatodoris fellowsi。/Pleuredhera haraldi 。左/赤い海綿動物の仲間を食べるコンガスリウミウシ。これは小笠原諸島と八丈島のみで見られる、この海域を象徴する固有種だ。 中/キイボキヌハダウミウシ。黄色いイボが特徴的。右が顔で、背中に見える王冠のような構造は呼吸をするためのエラである。 右/ヒブサミノウミウシ。ミノウミウシ類の多くは“刺胞”で身を守る。刺胞はクラゲやイソギンチャクなどの刺胞動物を食べて手に入れる。食べても自分は刺されず、刺胞を未消化のまま背中に並んだ突起の中に送り込むスゴ技だ。右4点左から /オレンジのスポットが可愛いコンペイトウウミウシ。 /象牙細工のようなゾウゲイロウミウシ。 /体を波打たせて泳ぐミカドウミウシ。 /刺激すると異臭を放つフリエリイボウミウシ。

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