雑誌「チルチンびと」87号掲載 小笠原からの手紙
1/2

166世界自然遺産に登録され注目を集める、小笠原の豊かな自然と文化を、現地在住の研究者が紹介します。文、写真・大林隆司目標は「0ゼロ匹」ミカンコミバエの根絶vol.21おおばやし・たかし/1965年、東京生まれ。1994~2003、2011年~父島の研究機関で働きながら、小笠原の昆虫などの研究・撮影や自然保全にかかわる。小笠原の世界自然遺産関連の各種委員会の委員も務める。日本セミの会、日本自然科学写真協会、小笠原野生生物研究会、小笠原自然文化研究所などの会員。島民の一部からは「せみちゃん」「虫くん」と呼ばれているらしい……。PROFILE この日に発行された官報(第17402号)に、以下のような省令が掲載された。 これは、1968年の小笠原諸島日本返還直後から開始された東京都による事業によって、同諸島からミカンコミバエという農業害虫が1匹もいなくなり、本種が寄生する農産物の日本本土への出荷制限がなくなることを意味していた。 父島で、その報せを目にした東京都小笠原支庁産業課亜熱帯農業センター・ミカンコミバエ(害虫)研究室のH研究員の胸中には、「やっと終わった……」という感情が沸き起こっていた。彼が父島に赴任してから11年目の春が訪れようとしていた。 本種は、体長約7ミリの東南アジア原産のミバエ科のハエで、成虫が柑橘類、マンゴー、パパイアなどの熱帯性の果樹や、トマト、ナスなどの野菜に産卵し、幼虫(ウジ)が食害する。そのため、植物防疫法により、発生地域からのこれらの農産物の持ち出しは禁止されている。国内では南西諸島と小笠原諸島に分布していたが、後述する防除方法により奄美群島で1980年、小笠原諸島で1985年、沖縄諸島では1986年に根絶された*1。 本種の1匹のメスは1個の果実に1回で10個以上の卵を産み、一生の間に最大1000個ほどの卵を産むという。そして1カ月で卵から成虫となり、年間で8世代発生する。したがって、駆除しても数個体でも残っていればあっという間に数が戻ってしまうので、究極的には完全に0個体にする必要がある。そんなことができるのだろうか? 1912年、インドでシトロネラという植物由来の油に本種のオスが強力に誘引されるこ1985年2月13日「ネコにマタタビ、ミカンコミバエに……」ミカンコミバエとは?農林水産省令第二号 植物防疫法(昭和二十五年法律 第百五十一号)第十六条の二第一項及び第十六条の三第一項の規定に基づき、植物防疫法施行規則の一部を改正する省令を次のように定める。 昭和六十年二月十三日 農林水産大臣 佐藤 守良 植物防疫法施行規則の一部を改正する省令 植物防疫法施行規則(昭和二十五年農林省令第七十三号)の一部を次のように改正する。…略… 別表二の二の項地域の欄中「小笠原諸島」を削り、同表五の項を削る。…略… 附 則 この省令は、昭和六十年二月十五日から施行する。上/ミカンコミバエ(標本、東京都小笠原亜熱帯農業センター所蔵)。1974年7月にトマトから得られた個体。 下/ミカンコミバエ発生調査用トラップ(わな)。内部中央に設置した綿棒に誘引剤(メチルオイゲノール)と殺虫剤がしみ込ませてある。ミカンコミバエの寄主植物(栽培種)。右上から時計まわりに/ブンタン/パパイア/トマト/パッションフルーツ/コーヒー/マンゴー。*1 いずれも根絶確認調査により根絶が確定した年。根絶後も現在に至るまで、ほぼ毎月、本種の再侵入警戒調査が行われているが、根絶から30年になる現在まで小笠原諸島では再侵入は確認されていない。なお、国外の本種発生地域(台湾など)が近い南西諸島では現在でも再侵入が確認されている。2015年9月には奄美大島、同年11月には徳之島・屋久島で多数の再侵入が確認され、このうち奄美大島では現在、寄主植物の移動規制措置がとられている(2017年3月31日まで)。

元のページ  ../index.html#1

このブックを見る