雑誌「チルチンびと」83号掲載 小笠原からの手紙
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遊泳能力がないため流されて海に降る。しばらくは、プランクトンのように海を漂って生活するのだ。やがて河口付近で稚魚となり、川を遡上しながら成長して親となる。 オガサワラヨシノボリのように、川と海を行き来する行動を「通し回遊」と呼ぶ。魚だけではなく、通し回遊は貝類、エビ・カニ類にもみられる生態で、実は小笠原の川の動物の多くは通し回遊生物である。フネアマガイ、ヤマトヌマエビ、トゲナシヌマエビ、オガサワラモクズガニ……。彼らは一生の一時期を海で過ごすからこそ島にたどり着き、島の一員となったのだ。れた海洋島である。島の歴史は生物がいない状態から始まった。川に暮らす水生生物たちはどうやって島にたどり着いたのだろう? オガサワラヨシノボリの一生にそのヒントがある。オガサワラヨシノボリは全長10センチに満たないハゼの仲間で、カエルのような愛嬌たっぷりの顔に、歌舞伎の隈取りを思わせる赤いラインが特徴的だ。好奇心が強く、水中にカメラなどの調査道具を入れると寄ってくる。 オガサワラヨシノボリの成魚は川の上流域に多い。雌が石の下に卵を産み、雄がふ化までこれを守る。ふ化した仔魚は半透明で、シラスにそっくりである。 葉脈だけとなった落ち葉が川底に沈んでいることがある。規則正しい葉脈が織りなす模様はまるでレースだ。これは、川の底生動物が食べた痕で、硬い葉脈だけが残ったものだ。落ち葉を食べる底生動物には、トゲナシヌマエビやハマトビムシの仲間などいろいろいるが、特に優秀なレース職人はオガサワラカワニナという貝の仲間である。本州でホタルの餌となるカワニナに似ているけれど、少し違うグループに含まれる。川岸の木々は川から水や栄養を得て生長し、やがて葉を落とす。川に落ちた葉をオガサワラカワニナが食べて細かくし、さらに小さな微生物の活動によって再び植物が利用できる物質へと戻す。小さな生物も生態系の中で何かしらの役割を担い、自然をつなげていることに気付かせられる。 フナムシと聞いて何を連想するだろうか。海のゴキブリ? ……フナムシが苦手という人は多いかもしれない。しかし、彼らの背中に螺ら鈿でん細工や蒔絵に見るような美しい模様が表れるのをご存知だろうか。色素胞といって、収縮や膨張することで体の色を変化させる細胞がある。フナムシの背中の色素胞は、時に金色やメタリックグリーンの色彩を浮かび上がらせる。 世界のフナムシ類は40種弱が知られ、その多くは海岸性である。つまり、フナムシの仲間は海の生き物なのだ。しかし、小笠原のフナムシたちはダイナミックな進化を遂げた。小笠原の海岸にはアシナガフナムシという固有種が生息する。いわゆるフナムシ的生活を送っている。ところが、標高300メートルを超える山の尾根にも、オガサワラフナムシという別の種が暮らしているのである。海から遠く離れた水辺のない林床に、海の生き物であるフナムシが生息するのは世界的にも稀なのだ。オガサワラフナムシはその発見以来、内陸へと進出した過程は謎のままであった。 2011年、小笠原で第三のフナムシが新種として報告された。この種は川の渓流域に生息し、ナガレフナムシと名付けられた。淡水域に生息するフナムシ類が報告されたのは世界で初めてであった。そして、小笠原には、海、川、山にフナムシが暮らすことがわかり、ナガレフナムシは海と山の種をつなぐミッシングリンクなのかもしれないと考えられるようになった。生物が海から陸へと進出するのは容易ではない。体の構造や代謝機能の変化が必要だからだ。小笠原諸島の小さな川の流れは、壮大な生物進化の道でもあるのだ。レース職人がつなぐ川と森ナガレフナムシの発見10:オガサワラカワニナはすぐれたレース職人。 11:オガサワラカワニナの正面顔。バクに似ている? 12:河床に落ちたハスノハギリの葉。オガサワラカワニナの餌となる。13:尾根から集水域と海を望む。オガサワラフナムシはこのルートを辿り山にやってきたのだろうか。 14:渓流に生息するナガレフナムシ。背中の模様が美しい。 15:山に生息する謎の存在、オガサワラフナムシ。101112131415143

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