雑誌「チルチンびと」81号掲載 小笠原からの手紙
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バチの卵が付いていて、それが孵化してコバチが飛びまわるようになった。この虫がガジュマルの花粉の媒介者であった。 小笠原のガジュマルは媒介者がいなくて不稔であったが、この頃より種子ができるようになった。ガジュマルは地面から発芽しないで、木の虚うろや岩壁などから発芽し、気根を縦横に伸ばしまわりの木を絞め殺したり、コンクリートや石造りの建造物も気根で被ってしまう(アンコール・ワットの寺院跡のように)。 このように今まではおとなしくしていたガジュマルが、不用意に持ち込んだ果実から思わぬ侵略的外来種に様変わりした。先に挙げたモクマオウ、アカギに次ぐお荷物を海洋島小笠原に預けてしまった。 小笠原の各島に分布しているギンネムは、崩壊地や裸地に密離した下から萌芽を出し立派に成長する。根元で伐採しても同じく萌芽を出し成長する。ここ数年は成長抑制剤により枯らしているが、さらに枯らした林床には一面にアカギが芽生えてくる。とにかく強い生命力を持った樹木で、まさに人とアカギの格闘の連続である。 家のまわりの庇ひ蔭いん木として植えられたガジュマル。山の中にも農家の跡地や第二次大戦中の軍の陣地の庇蔭の名残として残っている。 この木は種ができなかったので、植栽木以外は広がらなかった。10年ほど前に沖縄からガジュマルの果実を移入し、種を取り出し栽培を始めた(小笠原では挿し木で苗をつくっていたが、挿し木苗は商品価値がなく、実生苗をつくるために移入したのだ)。その果実にガジュマルコ生した林をつくり、年々その勢力範囲を広げ在来の植物を飲み込んで大きな群落をつくっている。小笠原がアメリカから返還された1968年当時は聟島列島、父島列島の島々に野生化したヤギがいた。返還後十数年頃から、2列島のヤギによる植生の破壊や希産種の食害が問題になり、東京都が野ヤギ駆除を実施し、父島を除く島々の野ヤギを完全に駆除した。野ヤギはギンネムを好んで食べるので駆除前はあまり目立たなかったが、野ヤギ駆除後にギンネムが急激に増殖し、ギンネム駆除に手を焼いている。 ギンネムは土壌条件を選ばず、崖であろうが急斜面であろうが、どこにでも生育する。伐採しただけでは、すぐに再生する。薬による枯殺を行っても残った根から芽を出し、手に負えない植物である。 ところで、20年近く前、父島をバイクで走る人の顔に小さな虫がバラバラとぶつかることがあった。その頃を境にギンネムの葉がほとんどなくなり、花も咲かず実も付けなくなった。その正体が、ギンネムキジラミであった。小笠原では大きな台風の後に、島にいないはずの蝶やトンボが現れることがあるが、2、3年で消えていく。このキジラミもその一例であろうが、ギンネムに対するダメージは甚大で、一部地域ではギンネム林が消えた。天敵の威力をまざまざと見せつけた。 以上四つの樹種について、それぞれの小笠原の植物への影響に触れたが、さらに20余種の樹種が帰化している。これらは明治時代に導入された。当時、小笠原は南方植物の研究や利用、実用化する試験が国策として進められていたのである。草本類について次号で紹介したい。しぶといギンネム絞め殺しの名人ガジュマル5:空地があるとさっそく入り込み、我が物顔に広がるギンネム。6:白い綿のようなギンネムの花の表面は粘つく。 7:ギンネムの豆の莢の中には黒光りする種子がたくさん。 8:枝から縦横に気根を出し、まわりの樹木にまとわりついて絞め殺すガジュマル。7658父島観光の目玉、南島。景観をそこなうので毎年外来種を駆除している。191

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