雑誌「チルチンびと」80号掲載 小笠原からの手紙
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213456 小さな海鳥繁殖地を救うために、母島南崎でネコの捕獲が始まったのは2005年の夏だった。ネコと野鳥の対峙が、ネコ派と鳥派という人の感情問題にすりかわり、生き物のいる現場を置き去りに転がりだす寸前だった。引き戻したのは、東京都獣医師会による海を越えたネコの受け入れだった。 それは、「ネコと野鳥」を「ペットと野生動物」と捉え直すことであり、野生の生命の舞台で、「ペット」と「鳥」を出会わせた人が、人にできることを探す行為だった。同時に、捕食性の哺乳類を欠いて進化してきた海洋島の生態系で、本来の姿を取り戻す小さな試行のひとつでもあった。 新たな一歩は踏み出された。しかし、文字通り前途多難。大型海鳥を襲うネコが人と暮らせるのか? 繁殖地に海鳥は戻るのか? 新たに半島に入り込むネコを防げるのか? 行方には山ばかり、まだまだ道は見えなかった。 「失礼ながら、母島の凶暴なノラネコを……引き受けてくれる人が、この世にいるとは思えない」。これは、ネコの東京引っ越し提案に初めてふれた一人の島民が漏らした言葉だ。今でこそ世界自然遺産として知られる小笠原だが、当時はダイバー、釣り人、マニア以外には知る人のない島々であり、船で27時間の大都会から、母島のネコ問題へ差し出された支援話は想像を超えていた。 ザトウクジラが子育てを終え、親子でブロウを上げながら北へ移動を始める春。入れ替わりに、夏に繁殖する海鳥たちが大海原から子育てに戻ってくる。南崎もネコの捕獲2年目を迎えて再び準備が始まるとともに、繁殖地へ入り込むネコを減らすために、半島基部の裸地に100メートルほどの小さな柵をつくった。取り組みの効果にも東京と世界自然遺産に登録され注目を集める、小笠原の豊かな自然と文化を、現地在住の研究者が紹介します。文・鈴木 創 写真提供・小笠原自然文化研究所新たな一歩すずき・はじめ/1965年生まれ。横浜育ち。小笠原自然文化研究所副理事長。季刊誌『i-Bo』変酋長(編集長)。PROFILE猫と鳥と島の話 完結編1:海も深いが山も深い。2:捕獲カゴを設置する。捕獲班は小笠原の山々を1年じゅう歩き回っている。 3:母島南崎の海鳥繁殖地は多くの人に支えられている 。南崎の柵の修理に集まった母島の人たち。 4:東京へ向けてネコ出発。5:母島南崎で繁殖が復活したオナガミズナギドリ。 6:ネコの捕獲で個体数が回復してきたアカガシラカラスバト。vol.14152

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