雑誌「チルチンびと」72号掲載 小笠原からの手紙
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115 の香りを残す最後の地上徘徊者の一 人だった。「幻」のごとく出会えず、 飛ぶのが苦手に見える彼らは、かつ ての絶滅鳥と同じように、それぞれ の島できれぎれに滅んでゆこうとし ていると、2002年まで専門家を 含めて皆がそう考えていた。 海を渡るハト・導きの鳥  2002年秋、父島から二つ隣の 弟島の調査中であった。戦前の人の 暮らしの名残りがある森の縦走中に、 別班から無線連絡が入った。「ハト が出た。脚環付きだ」。耳を疑い同 時に震えた。当時、脚環個体は「紅 白」以外にいなかった。これが初め ての島間移動の確認となった。  その後「紅白」が、我々に教えた ことは多い。さらに北数十キロの聟 むこ 島に出現し、冬にはあっさり父島に 現れた。絶滅寸前の鳥の迷走・奇行。 そんな憶測は否定された。アカガシ ラカラスバトは海を渡るのだ。「紅 白」は何度も証拠を示し、生物像を 180度転換させた。さらに父島の 深山で、野生での繁殖、地上の巣づ くり、野太い胴鳴き声でのやりとり など、さまざまな生態も見せてくれ た。それは、かつての楽園を夢想さ せ、同時に現在の想像以上の危機を 理解させた。    アカポッポ  2008年1月、小笠原で「アカ ガシラカラスバト保全計画づくり国 際ワークショップ」を開催した。多 分野からの専門家、行政関係者、動 物園関係者、我々島民、島内外から 120名余の人が集まり、2泊3日 で朝から晩まで絶滅回避の方策を話 し合った。個 人、団体、ネ ットワークレ ベルまで、多 様な行動計画 がつくられた。 ワークショッ プについては 刊行物等も あり割愛す るが、当事 者不在のご 時世に、「島 の鳥の未来 を、自分た ちの未来と して語る議 論」を両者(鳥と人)のいる小笠原 で行った意味は大きい。その後、多 くの計画が実行され、アカガシラカ ラスバトの生息環境や保全は大きく 前進する。  ちなみに当時最大の課題は、そも そも島民がアカガシラカラスバトを 知らないことだった。「ハトなの? カラスなの?」は笑えないジョーク だった。愛称募集の結果「アカポッ ポ」が選ばれた。親しみやすい鳥名 は大切だった。アカポッポは、今で は多くの子どもが知っている。 耳を澄ませて感じる未来  見ることさえできない生き物をど うやって守るのか。とても難しい問 題だ。アカガシラカラスバトが少し ずつ増えれば、出会えるチャンスは 少し高くなるかもしれない。それで も、まだまだ幻の鳥だ。「守るため に見せなくてはならない」という議 論はある。それは真理だろう。観光 で訪れる多くの人びとも見たいにち がいない。それでも、小笠原に生き る多くの絶滅危惧種を想う時、新し い感受性も必要に思えてくるのだ。 見えないものや、聞こえないものを 感じ取る力。リアリティを感じ取る 想像力、とでも言うのだろうか。  たとえ見ることができなくても、 この森の続きにハトはいる。この島 のどこかに……。小さな想像力は小 さな島を分かちあう助けにならない だろうか。アカポッポと空間を共有 しているという感覚が、私たちの見 る景色を豊かにし てくれたら素敵な ことだ。彼らは今 も楽園を生きてい る。そして、未来 の楽園の鍵は私た ち人間が握ってい るのだから。 絶滅危惧種のいる場所に、かかわってい る多くの人が集まることの意味は大きい。 120 名余の参加者の半数は島民。 鈴木 創(すずき・はじめ) 1965年生まれ。横浜育ち。小笠原自然文化研究所 副理事長。季刊誌『i-Bo』変酋長(編集長)。 (あるいは楽園の鍵) アカポッポはこの島々を渡っている。 森と海は川でつながっている。 アカガシラカラスバトは海も知っている。

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