雑誌「チルチンびと」93号掲載 「京都大原の山里に暮らし始めて」梶山正
4/10

45トランで修業をしていたが、毎週休みになると料理の勉強のため、フランス料理を食べ歩いた。上等な料理に感動して、いつか僕もこんな料理をつくろうと希望を持っていた。ところが、だんだん疑問が湧いてきた。 ラグビーボール型にジャガイモや人参を切るシャトー剥きのような剥き方は、捨てるところが多い。つまり、もったいない。舌の食感をよくするためにスープやソースを漉すことの可否も。そのままで充分ではないか? 真っ白なテーブルクロスに、ナイフやフォークをたくさん並べる必要があるだろうか? 料理は腹を満たすだけのエサではなく、世界各地に長い歴史を経て伝わる文化だと思っている。でも、僕がそれを受ける準備ができていなかった。経済的に貧しく生活レベルが低かったのもその一因である。また、僕が求めていたものは、フランス料理そのものではなく、フランス料理のシェフというステータスだったのかもしれない。 そのうち何をやったらいいのかわからなくなり、僕はコックを辞めてインドを旅した。インドでは毎日カレーを手で食べた。スプーンやフォークなどの食器を使わず、ごはんやチャパティーを右手だけで食べる。ちなみに左手はトイレでお尻を洗う手なので、食事で使うことはタブーだ。だんだん僕は上ばかりを見なくなり、目の前に次々と現

元のページ  ../index.html#4

このブックを見る