「京都大原の山里に暮らし始めて」梶山正
3/4

124 近くの森にタムシバの白い花が混じると、大原に春が来たことを知らされる。タムシバには花が多いアタリ年と少ないハズレ年がある。やがて、レンゲソウ、菜の花、山桜など次々と大原は花に包まれていく。 子どもが生まれると家の中が春のように、華やいだ雰囲気になる。息子の悠ゆうじん仁が生まれた日のことを、僕は昨日のことのように覚えている。僕は嬉しくて「この子って、特別かわいいと思いませんか?」と産婦人科の看護師さんに言うと「どこの親も、自分の子が特別にかわいく見えるもんですよ」と諭された。 生まれたばかりだというのに、小さな手の5本の指には、爪まで付いていることに僕は驚いた。「最初から全部そろって生まれてくるなんて、生命の神秘やなあ」と僕が感心していると、ベニシアは大きな目標をやり遂げて誇らしさに溢れた顔で微笑んだ。悠仁の小さな手は、僕が小学4年生の時、この世を去った弟のウックル君の手を思い出させた。 まだ言葉を話せず「ウックル、ウックル!」と話しかけていたので、僕たち家族は彼をそう呼んでいた。彼は生まれつき心僕の体温でその手は少しずつ温まる。するとそのうちパッと起きて「ウックル!」と話すんじゃないかと僕は期待した。棺桶に移されるまで、僕はそうやって彼の手を離せないでいた。臓に穴が開いており病弱だった。風邪をこじらせて肺炎になり、たった1年の彼の人生が終わった。ウックル君はいつものように安らかに眠っているように見えたが、体はもう温かくなかった。冷たくなってしまったウックル君の小さな手を握っていると、 悠仁はすくすくと元気に育った。幼い頃は、納豆ごはんが好物だった。英国やアイルランドに住むベニシアの家族を訪ねたときは、大量の納豆を持って行ったぐらいだ。 高校生になると悠仁は僕の背をはるかに越えた。バスケットをやっていたので、背が高いのは好都合だったことだろう。受験勉強をがんばって、ようやく大学に入った悠仁はビジネス英語の勉強を始めた。将来が楽しみだ……と期待していた。ところが、大学を3年ほどで辞めてしまった。悠仁は18歳で大学に入ると同時に大原の家を出て一人暮らしを始めたので、僕は彼と会う機会が少なかった。突っ込んだ話をすることも無かったので、彼が何を考えているのか僕はよくわからないでいた。僕も19歳で大学を中退している。僕が大学を辞めたとき、おそらく僕の父親が抱いた気持ちは、この時の僕と同じような気持ちだったろう。親から見れば子である若者のやることは、危なっかしくて心配してしまうものだ。自分小さな手、大きな力生まれて3日目の來愛を囲んで。親になったばかりの来未と悠仁。4人目の孫を喜ぶベニシア。

元のページ  ../index.html#3

このブックを見る