雑誌「チルチンびと」89号掲載 「京都大原の山里に暮らし始めて」
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6 その日は京都市街地で知人と会い、夜の10時頃に帰路についた。原付スクーターにまたがり、気分転換に、いつもと違う山沿いの道を走った。江文峠を越えて大原の小道に差し掛かると、道路脇から少し離れた畑の暗闇に、獣の光る目がいくつか見えた。僕はそのまま速度を落とさず通り過ぎようとしたが、なぜかその光る目が突然僕のスグ横に近づいたように感じられた。 突然、僕は宙を飛んだ。腰を強打し、しばらく起き上がれないでいた。器械体操の飛び込み前転のように1回転して頭も打ったが、幸いヘルメットが守ってくれた。ようやく起き上がり、倒れたスクーターを起こそうとすると、まだ近くにいる鹿たちが「ピー」と甲高い警戒の叫び声をあげた。 それから1週間ほど腰が痛かった。鹿の飛び出しで車が凹んだり廃車になった話など、これまで耳にしていたが、まさか我が身に起きるとは……。はじめの2日間ぐらいは、鹿が目測を誤まり、ぶつかってしまったのだろうと僕は思っていた。鹿だって痛い思いをしたくないはずだ。ところが、日が経つにつれ僕の考えは変わった。母親の鹿が子鹿を守るために、僕* 我が家から車で15分ほどの山際に猟師の友人が住んでいる。2008年に『ぼくは猟師になった』(リトルモア)という本を書いた千松信也さんだ。彼のこの本は、出版されてすぐに話題となり、狩猟ブームの先駆けを担った本といわれている。彼はククリについて少し考えるようになった。野生の獣を身近に感じたからだろうか? そんなことを考えていると、なんだか野生のイノシシが食べたくなってきた。つくる様子を、僕は写真で記録した。作業場に行くと、千松さんの他に3人の若い女性が手伝いに来ていた。狩猟は、泥臭く血生臭そうで、若い女性に敬遠されそうなものと僕は思っていたが、じつはそうでもないようだ。その3人の女性たちは、毛皮と肉の間に尖ったナイフを突き刺して、上手に毛皮をはがし、食肉用の肉のブロックをつくり上げていた。ワナという仕掛けをつくって、イノシシと鹿を獲っている。鉄砲は使わない。最後は鉄パイプで仕留める。 今年1月、千松さんがイノシシを解体し、食肉をを攻撃したのかもしれない……と。今、日本中の野山で鹿が増え続けている。僕がよく訪れる、長野県の日本アルプスや滋賀県の伊吹山などでも、これまで見事だった自然のお花畑が消失し続けている。鹿が草花を食べてしまうのだ。 15年ほど前までは大原近辺に山ヒルはほとんどいなかったのに、今は増えている。鹿がヒルを運ぶのだ。大原盆地周辺の山裾は、害獣除けネットが張りめぐらされているが、それでも田畑に鹿が入ってくる。大原はもちろん、日本中で猟師の数が減るにつれ、鹿やイノシシが増えているという。 これまで僕は、自分で猟をすることはないだろうと思っていた。ところが、鹿とぶつかってから、猟野生イノシシのインドカレーを味わうククリワナという仕掛け。上/近くの山で獲ったイノシシをさばく千松さん。 下/解体してブロック状に分けた猪肉は、パックして冷凍保存している。

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