雑誌「チルチンびと」83号掲載 京都大原の山里に暮らし始めて
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6ンのように、ちょっとは私にやさしくしてよ!」などと言われながら、僕も見ている。異文化の国で生きていくことの大変さなど、ドラマから気付かされることも多い。 現在約2000人が住む大原には、3人の外国人が暮らしている。19年前に越してきた僕の妻のベニシアが最も古株だ。隣の戸寺町には6〜7年前にイギリス人のマカルクさん家族が越してきた。彼は神戸の大学で英語を教えており、日本人の奥さんとの間に小学生の子どもが二人いる。 昨年の秋には、我が家のすぐ近所にリーノ・ベリーニさんが越してきた。彼は50年ほど日本で暮らしているイタリア人で、カトリック教会の神父さんをやっている。大原に友人がいて、なんと僕たちがここに越してくる前に、今の僕たちの家にしばらく荷物を預けたことがあるそうだ。イタリアの家は数年前の地震で壊れてしまった。独身の彼は日本の生活に慣れており、けっこう高齢なので、イタリアへ戻るつもりはないそうだ。 そんな日本で暮らす外国人に、日本に来るようになった経緯を聞くと、そこにはたいがい興味深いストーリーがある。ベニシアの話を書いてみよう。 1970年10月から8カ月間、ベニシアはインドのハリドワールにあるアシュラム(道場)で生活していた。多くのインド人とともにそこで瞑想の日々を送っていた20人ほどの西洋人の若者たちに、ある日、瞑想の先生であるプレム・ラワットはこう申し渡した。 「皆は自分の国に帰るように!」 プレム・ラワットはわずか10歳の少年。当時は既存の文化に行き詰まりを感じた西洋の若者たちが、別の価値観を探そうとしたカウンター・カルチャー(対抗文化)の時代といわれている。ベニシアはイギリスに帰る仲間たちとは逆に、さらに東へ向かうことにした。日本である。 ベニシアは貴族の家系に生まれたが、子どもの頃からそこに違和感を感じていた。まず7歳から貴族社会で生きていくための習い事をやらされるが、どれも嫌いだった。日本では生け花や茶道、書道、日本舞踊など女性的な習い事があるが、イギリ東へ向かう少女時代vol.21新たな生き方を探して、イギリスからインド、そして日本へ旅したベニシアベニシアと弟のチャールズさん。彼は奥さんのリズさんと一緒に大原へ遊びに来た。初めてのアジア旅行であった。ベニシアの母、ジュリアナ・カーゾンの実家ケドルストンホール。 連続テレビ小説「マッサン」を毎朝見るのが日課になっている。マッサンと妻エリーが主人公のドラマだ。ドラマのモデルは、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝さんと妻のリタさん。1920年にスコットランドで結婚した彼らは、日本初のウィスキーをつくった。ベニシアは外国人女性が日本で苦労する様子を、自分の経験と照らし合わせながらドラマを見ている。一方「あなたもマッサ

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