雑誌「チルチンびと」81号掲載 京都大原の山里に暮らし始めて 梶山正
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11だろう。また、家中の土壁の柱との間に1センチほど隙間が空いていたので、家の中を風が吹き抜けた。庭には植木がたくさんあったが、ジャングル状態だった。庭の中央にある池は、古タイヤや草木のゴミで埋まっていた……。 その頃、バッキーは大津市内の造園屋に雇われていたので、自由に動ける日は、仕事が休みになる雨の日だけだった。今は小学4年生の長女めいちゃんは、当時まだ0歳。可奈さんは赤ちゃんの世話をしなければならないので、バッキーと一緒に家を直すのは時間的に当然厳しかっただろうと想像できる。 最も大変だったのは、ゴミの処理だったという。2階は老父の荷物でいっぱい。それに腐った畳やら、朽ちた土壁など、廃棄しなければならない物を、軽トラックに山積みで30回以上もゴミ処理場へ運んだそうだ。そうやって1年近くかけて、ようやく引っ越しできる状態に。現在中学2年生の長男ユロ君は当時4歳。こちらから通える幼稚園の入園に間に合うように引っ越したい、という意向もあった。現在、将棋狂いのユロ君は堅田の将棋クラブに入り、おじフジウツギ、ソヨゴ、ハナミズキ、ヤマボウシなど、花や実がきれいな木を新たに植栽したそうだ。上:水鉢のまわりはアヤメ、ネメシア、シュウメイギクを植栽。 下:桃色と水色のワスレナグサがひっそり咲いていた。

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