雑誌「チルチンびと」73号掲載 京都大原の山里に暮らし始めて 梶山正
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これまでと違う目で我が家の庭が見える  この原稿を書いている今は、2週 間のイギリス滞在から帰国したばか りだ。旅の疲れと興奮がまだ続いて いる。イギリスへは、ベニシアと結 婚したばかりの 20年ほど前に3回ほど彼女の家族を訪ねに行ったが、そ れから長い間行かなかった。  僕は英語がへたくそだ。僕の英語 力は、若い頃インドで貧乏旅行をし ながら身につけたかなりブロークン なものである。ベニシアの家族は英 語しか話せない。イギリスにしばら く滞在するうちに、つたない会話を 毎日続けることに僕は気が引けてし まい、できるだけ会話を避けたいと 思うようになっていた。そんな僕の 相手をしてくれたのは、子どもたち と犬。彼らとは会話がなくても遊べ るのがいい。その後は、 ベニシアが渡英するとき でも僕は行かなかった。 ところが、昨年に引き続 き今年もイギリスでの仕 事が入ってしまった。  その仕事とは田舎暮ら しの工芸家たちを訪ねて、制作の様 子と作品を写真撮影することであっ た。昨年同行した編集者は米国と英 国留学が長かった人で英語ペラペラ。 そんな人と一緒にいるとへたな英語 を話す機会はあまりない。ところが、 今年は編集者が変わり、僕は自分で 英語を話さなくてはならない状況で あった。工芸家たちはブロークンな 英語を聞いてもきちんと話してくれ たので、僕は嬉しかった。  工芸家の田舎暮らしの生活は、僕 の生活の参考になるところが多く興 味深いものであった。帰国後、イギ リスでの体験や感じたことをベニシ アに話すと、長年続いた僕のイギリ スビビリが治ったと喜んでくれた。   6年かけて六つの庭をつくる 68号で書いた庭づくりの話の続き をしよう。僕が基礎土木工事をやり 終えると、次はベニシアが作庭作業 にかかる。そんなペースで 40坪ある庭を六つの小さな 区画に分けて、1年ごとに 新たな庭をつくっていった。 やっていくうちに、ベニシ アはそれぞれの区画ごとに 庭のテーマを決め、名前を 付けた。玄関前の「ポーチガーデン」。 元々あった「日本風の庭」。ベニシア が幼少期から憧れていた「英国風コ テージガーデン」。大きな木々が並 ぶ「フォレストガーデン」。スペインのパティオをイメージした 「スパニッシュガーデン」。テーブル を囲んでゆっくりワインを楽しむ 「ワイン色の庭」などだ。  庭のつくり手の考えは、庭にも表 れていくようだ。たとえば「ポーチ ガーデン」は日当たりが良く水はけ がいいので地中海性のハーブをたく さん植えていた。それで後に「地中 海の庭」と改名。それはやがて「ビ ーガーデン」へと変わっていく。近 年ミツバチが世界的に減少している という現実をベニシアは知って憂慮 し、ミツバチが好む植物たちをそこ に植えていったことによる。   六つに分けた庭の境は、垣根や大 きな植木鉢に植えた植物などを置い て区切っている。垣根や家、石垣の 壁面は蔓植物を這わせている。玄関 前のテラスにはフジとホップ。家の 壁面にはツクシイバラとモッコウバ ラ、ハニーサックル、それに数種の ツタ類。ワイン色の庭とスパニッシ ュガーデンの間の垣根にはノウゼン カズラ、庭のあちこちにある灌木類 にはクレマチスを這わせている。  こういった蔓植物が伸びるに任せ ていると、近くの木や電線などにからみつくので、 僕は鬱陶しく感じてベニシアに苦情 を言ったりもした。伸びていく方向 を変えようと、成長して樹木の幹の ように硬くなりつつある蔓を違う方 向に紐でくくって矯正させようとし、 植えて15年ほど経つフジとノウゼン カズラを僕は枯らせてしまった。蔓 植物の茎はしなやかだが、強引な矯 正は植物の命を奪いかねない。  今回、イギリスの庭で蔓植物が多 く植えられているのを見て、ベニシ アが蔓植物を好んで異常なほどたく さん植えているのではなく、あれが イギリスでは一般的なことなのだと 知った。また、古くなって底に穴が あいた手押し一輪車をベニシアは植 木鉢として使っている。僕はそれを 変だと思っていたが、イギリスの工 芸家が同じことをやっていたのには 笑ってしまった。その人が住む家は 1598年築と聞かされ、また周り には同じような古民家がいくつもあ ることに感心させられる。大原の我 が家は築100年の古民家だと僕は 誇らしく思っていたが、築400年 以上の家と比べるとまるで子どもの ような存在ではなかろうか。

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