雑誌「チルチンびと」65号掲載 京都大原の山里に暮らし始めて 梶山正
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P4 上/塩漬け発酵のバラの花びらのポプリにラベンダーの花穂を飾る妻のベニシア。 左/センティッド・ゼラニウムの葉が、障子に模様をつくっていた。 右/近くの花尻の森では、たくさんの椿が咲いていた。 左/庭に野鳥の餌を置くコーナーを設けている。ピィーヨ、ピィーヨと鳴くヒヨドリが来た。 長い旅を続けた電気を利用して、電化製品を使うわけだ。   できることは何だろう?電気工事は法的に電気工事士の資格が必要だが、僕でもタッチできる部分はきっとあるはずだ。家の中の配線状態さえわからない状態だったので、まず簡略な配線図のようなものをつくってみようと思った。  我が家の分電盤には七つの安全ブレーカーが付いていた。それぞれの安全ブレーカーは、どの部屋に繋がっているのかを調べることにする。七つあるブレーカーの一つだけを作動させ、コンセントまたは引っ掛けシーリングへ電気が来ているかチェックすればわかるわけだ。この作業に2日もかかってしまった。  簡略配線図をつくるうちに、この家の配線は計画性がなく、後から何度も配線工事が繰り返されたと想像できた。ひどく混んだラインがあれば、ほとんど使われていないラインもあったからだ。  また、電線をたどって天井裏にも上ってみた。すると、今普及しているVVFケーブル(ビニール被覆で平型)で配線されているのは半分ぐらいで、残りの半分は、布で被覆が為された昔懐かしの単線コードだった。新旧が混在している状態だ。  夏の天井裏はさすがに暑く、汗と5センチ積もった埃でひどい状態になった。天井裏に上がる前は、この家が棟上げされたときの記念とか秘密はないかと、ちょっと期待していたのだが……。そこで得たのは、これからやるべき配線工事は、大変だろうという予想だけであった。サウナのような天井裏から抜け出すと頭がクラクラした。 友人がタケノコを掘って来たので、さっそく茹でる準備をした。 かじやま・ただし 1959年長崎県生まれ。写真家。山岳写真など、自然の風景を主なテーマに撮影している。登山ガイドブックほか共著多数。84年のヒマラヤ登山の後、自分の生き方を探すためにインドを放浪し、帰国後まもなく、本格的なインド料理レストラン「DiDi」を京都で始める。妻でハーブ研究家のベニシア・スタンリー・スミスさんとはレストランのお客として知り合い、92年に結婚した。

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