住宅雑誌「チルチンびと」76号掲載 改修設計 横内敏人
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 使い込まれた鍋から香ばしい匂いが 立ち上る頃、焼き上がったフォカッチ ャとともに、みずみずしい花ワサビの サラダが、アンティークのテーブルに 並べられる。テラコッタ敷きのダイニ ング・キッチンから一歩出れば、そこ は由緒正しい和の空間。江戸時代末期 の武家屋敷という歴史を物語る書院造 りの座敷には、現代の暮らしのために ダイニングテーブルを備えた板敷きの 部屋が隣接する。そこを彩るのは、ス ペインの櫃 ひつ やインドの飾り棚。各々の 出所は異なるが、違和感なく調和して いるのは、家具にも空間にも時間を刻 む無垢の素材が使われているから。 「つくった人の顔が全面に見えてくる ものは、少し苦手。時間が経って誰が つくったか、どこでつくられたかもわ からないもののほうが、違和感なくな じんでくれる気がします」と語るのは、 料理家の細川亜衣さん。もともと敷地 には夫で陶芸家の護 もり 光 みつ さんの工房があ り、「作陶と生活を近い場所で」との考 えから、長い間使われていなかった武 家屋敷を住まいとして改修することに。  建物の状態は悪くはなかったが、昔 の建物だけあってとかく不便も多い。 「ただ、新築は頭にありませんでした。 今まである建物を生かしたかった」と、 護光さん。キッチンまわりは亜衣さん が知人の助言を受けながら改修したが、 さらに1年して、京都の建築家・横内 敏人さんに家屋の改修を依頼した。 時が磨いた〝本物.に囲まれて  結婚を機に熊本に来る前は、料理の 勉強のため、イタリア各地で暮らした 経験のある亜衣さん。研修生として過 ごした、ある城での住体験が忘れられ ないと言う。「ベッドとデスク、クロー ゼットと箪笥があるだけの小さな部屋 でしたが、窓を開けると古い教会の向 こうにアルプスの山並みが開けている。 建材は、長きにわたって使われてきた 漆喰やテラコッタ。小さな空間なのに、 すべてが満ち足りていたんです」。  横内さんも「素材感が豊かで、かつ 古いものとつながる暮らしを今回も望 まれていると思いました」と、改修の イメージを共有した。  古い建物の改修にはいくつかの手法 がある。まず一つに、古い要素に新し い要素を対比させる方法。もう一つは 時計の針を巻き戻したような改修。今 回はそのいずれとも異 なり、横内さん曰く、 「古い建物の良さを引 き継ぎながら、現代的 な暮らしを営むため、 古さと新しさが調和す る」改修となった。  そのためには、まず 全体の骨格の整理を。 通常の日本家屋よりも 骨太な黒い柱梁と、白 い漆喰壁のバランスが 重苦しくなりすぎない ように、軸組を整理。使い道のなかっ た中2階を撤去するなど、空間を明快 に再構成した。水まわりも移動させ、 北庭前をサンルームのような屋内テラ スに。これにより、北と南、二つの庭 につながりが生まれ、光も風も抜ける ように。あとは、「実はとても寒い熊 本の冬」(亜衣さん)を考慮して、全体 に断熱を施した。  家具・建具などのしつらえは、もと あったものを大事にすることはもちろ ん、「この家が、より生きるように」と 亜衣さんが大いなる情熱をもって探し 求めた。様式や時を超えてさまざまな ものが集っても、それが時間が磨いた 〝本物.ならば、しっくりと合う。和洋 が入り交じる生活空間に、まったく違 和感はないと言う護光さんに、「訪ね てきた人が、すごいと息を呑む家もあ るけれども、住み手は驚きのなかで生 活していると疲れてしまうもの。建物 が語らず、生活を際立たせる家がいい と思うんです」と横内さんもうなずく。  亜衣さんが生けた庭の草花、大切に 選んだアンティークの家具、護光さん のぬくもりある器。「好きなものに囲 まれていたい」と亜衣さんが語るよう に、思いが宿る家具や小物がちりばめ られていると、いっそう家に対する愛 情も深まるのだ。  その亜衣さんが目下夢中なのは、 「庭」。改修で南北の庭がつながったら、 驚くほど意識が向くようになった。 「家が緑に包まれるように、常に数年 後を想像しながら暮らしています。家 の周囲は、歴史を感じさせる環境です が、庭は家族だけの場所。家と同じよ うに、植物も自分が心地よいと思える 種を育てていきたいですね」。 42

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