100年ほど前のウィーンの本

古本屋ですというと、大抵本を読むのがお好きなんですねという話になるが、私は実はそれほど本を読むのが好きなのではなくて、本を見るのが好きなのだ。

世の中には眺めるための本がいっぱいある、いやむしろ、内容よりも外身の装幀の方が大事な本があるということを、私に教えてくれたのは神保町という街である。本と装幀は、人間と洋服のようであり、その関係は深く謎に満ちている。
この世には実は、中身のあまりない本すら存在する。それは、西洋の王侯貴族によって純粋に儀式的に、最高の素材と最高の職人をして作られたような壮大な書物だ。このことを知ったことは、本は文学にしろ、哲学や思想にしろ、とにかく中身あってこそと思っていた私にとって衝撃的な体験であった。

私が初めて「物としての本」に触れたのは、長年大学に属してウィーン世紀末研究を志していた頃に知った『ヴェル・サクルム』という雑誌である。これは、1898年から6年間ウィーン分離派という芸術グループによって刊行された月刊誌であり、当時の芸術家による図版はもちろん、文学者、批評家たちが意欲的な寄稿をし、その周りにデザイナーが楽しいヴィネットや飾り文字を施す、といった、様々な角度から楽しむことのできる夢のような出版物である。
しかし、この本の何がすごいかというと、形である。真四角なのである。その後この形を真似た本も刊行され続けており、今となっては判型として珍しくないのかもしれないが、最初にこの形を考えついたのはすごいとつくづく思う。
この雑誌を当時閲覧するために、私がどれほどの労力を払ったか、今となってはかなしくなるほど。私が勉強を始めた頃は、デジタル化の加速するほんの少し前だった。10年ほど前、オーストリア国立図書館がすべてのページを公開した時は唖然とした。
でも、私は、この雑誌のページを、少し重たいアート紙を、一枚一枚めくった時の感動を忘れることは決してない。

そして何より古書の観点から見ると、そもそも全ての古書は一点ものである。紙の装幀なのか、版元で装幀された布装版なのか、特装版なのか、もし持ち主によって一年分まとめて綴じられているのであればそれはどのような装幀か、そして果たしてそれぞれの発行月の表紙も綴じ込まれているか広告ページも綴じ込まれているのか、何より保存状態はどうなのか、などなど……。たった一冊の画像だけでその書物の全容は決して分からない。本屋になってからは、『ヴェル・サクルム』が売りに出されると必ずチェックする。保存状態の良いものはほとんどない。もちろん最上の状態の全巻揃いのものや特装版は、蒐集家や世界最高峰の本屋さんたちが抱えこんでしまっているし、仮にそのようなものが市場に出たとしても、駆け出しの私にはまだ在庫できる余力はないのだが。

今手元にあるのは、『アルス・ノヴァ』という、これまたウィーン分離派周辺の人々によって刊行された巨大な書物二巻揃い(460×360mm)。この前衛的な装幀をなんと形容すればよいのか分からない。黒い装幀の方は、武士の甲冑のようでもある。研究者風に言えば、まさにジャポニスムと世紀末デザインの融合である。中身は、当時の重要芸術家たちの作品集。写真図版の前夜の時代であるので、ヘリオグラビュールという版画技術を用いてある。
とはいえ、この本も、中身の情報を表紙の存在感が凌駕している。早逝の天才デザイナー、コロマン・モーザーによる、銀地に赤あるいは黒字に金押しの標題プレート、その真四角さを見るたびに、大好きな『ヴェル・サクルム』のことを思い出す。

アルス・ノヴァ