微風に寄する歌

片付けをしていたら、「ステンカ・ラジン」の楽譜が出てきた。何年か前に、表紙絵に惹かれて手に入れたものだが、作詞者の名前が目に入ってきて驚いた。斎藤佳三という戦前活躍したデザイナーだったのである。私にとって斎藤佳三は、ウィーン世紀末風デザインの模倣者である。彼がデザインした浴衣が、ヨーゼフ・ホフマンのデザインした衣服と模様がそっくりで驚いたことがあったのだ。ということは、この楽譜の表紙絵も斎藤佳三であろう。そう言えば、ウィーン世紀末的なものとスラブ的なものを融合した作品と見えてきた。

さらにこの機会にと、少し調べてみて驚いたことがあった。斎藤佳三は明治終わりに渡独し、ベルリンの下宿先は山田耕筰と同じで、さらに帰国もシベリア経由で山田耕筰と一緒だったというではないか。私にとって山田耕筰といえば、作曲家としての活動にはそれほど親しみがなく、留学当時ベルリンのシュトゥルム画廊のオーナー、ヘルヴァルト・ヴァルデンと親しく交流し、表現主義の版画を日本に紹介することとなった人物である。その脇に斎藤佳三もいたとは・・・つくづく画像を常に衝動的に見るばかりで、文字からの情報量が足りない自分を反省した。

同時に、歌劇フィガロの結婚からの二重唱「微風に寄する歌」の大正13年の楽譜が出てきた。とても好きな曲なので、頭の中で歌を思い出しながらピアノ伴奏部分を弾いてみた。なんとか弾ける。歌いながら弾けたらどんなに楽しいだろう。インターネットの動画で、ミレッラ・フレーニとキリ・テ・カナワの二重唱と、ルチア・ポップと誰かの二重唱を見つけた。前者は幼い頃から親しんだ演奏だったので、ネットから簡単に探して聴けることが嬉しくなった。ミレッラ・フレーニはつい先日亡くなってしまったらしい。

実は、「微風に寄する歌」の楽譜も、表紙のタイトル書体がウィーン世紀末的な様式だなあと感じて手に入れたものだ。ウィーン工房で活躍したカール・オットー・チェシュカらのくりくりとカールした様式を思い起こさせるのである。このようなくりくりした書体は、大正末期から昭和はじめに日本でよく見られると思う。最近、戦前の金沢の写真館の封筒にも同様の様式を見つけた。その流行は東京などの大都市だけでなく、この北陸にまで及んでいたのだなと感じる。遠くへ旅に出ることはまだしばらくかなわないかもしれないが、自分の近くにあるものと遠くにあるものが交差するのをこうして楽しむ毎日である。