繍芸の本

2023年最後の展示が、金沢の彗星倶楽部で12月始めにあった。彗星倶楽部は、中森あかねさんのギャラリーである。古い町家の空間で、床の間と畳の上に作品が調和する特別な場所。 中川智映子さんという作家さんの展示に、髙橋麻帆書店の在庫を並べていただけることになったのだ。中川さんは、陶器や果物、魚など、身近なものを布と刺繍糸で写すように、とても綿密に緻密に作り込まれた作品を制作される。そんな自らを「繍芸家」と名乗られ、作品を「刺繍彫刻」、そしてその方法を「写姿(うつし)」と呼ばれる作家さんだ。 今回の展覧会名は、中川さんの「写姿(うつし)」という言葉に中森さんがアルファベットを添えられ、「写姿Utsushi」と名づけられた。

彗星倶楽部編集の本『きのふいらしつてください』(きのふいらしつてください カタログ作成委員会、2022年発行)に掲載された、中川さんの作品の写真(ニック・ヴァンデルギーセンさん撮影)
彗星倶楽部編集の本『きのふいらしつてください』(きのふいらしつてください カタログ作成委員会、2022年発行)に掲載された、中川さんの作品の写真(ニック・ヴァンデルギーセンさん撮影)

なぜこの展覧会に参加させていただくことになったかというと、そもそもは数年前の古本まつりの際、中森あかねさんが弊店に来てくださり、竹久夢二挿絵恩地孝四郎装幀の『世界童話集(日本児童文庫のうちの一冊、アルス出版、1927年)』をお求めくださったことがきっかけだった。その後、彗星倶楽部をお訪ねした時、中森さんがにこにこしながら見せてくださったものがあった。驚いたことに、その夢二の本がそっくりそのまま、刺繍糸と布と紙と染料で写して作られていた。さらにもう一つ見せていただいたのが、東郷青児が表紙を描いた1950年代の『週刊朝日』を写したもの。本の形をした表紙の部分には、細い目の女性のポートレートが刺繍されている。オリジナルより立体的であるものの、「写す」謙虚さが前面ににじみ出て平面的に見える。本というものは、もともと「物」としての存在感が強いと感じてきたが、その存在感を切り取ったかのよう。その作者こそが中川智映子さんだった。そして、その東郷青児の本もまた、中森さんが選ばれたものであることが胸に響いてきた。選ぶと言う行為が、自らも現代アート作家である中森さんの創作でもあるのだ。その場では、過去の時代の日本の古書と新しい創作が静かに出会い調和していた。

展覧会より。銀の皿の刺繍彫刻と本物の干しぶどうと『学友文庫』
展覧会より。銀の皿の刺繍彫刻と本物の干しぶどうと『学友文庫』

展覧会場の床の間には、中川さんの刺繍彫刻、銀の皿、干しぶどう、ブルーアンドホワイトの大皿、秋刀魚が飾られた。干しぶどうの脇には本物の干しぶどうも置かれていたが、あんまりそっくりなので見分けがつかなかった。そこに、青山二郎装幀の地味に愛らしい本が2冊(『学友文庫』芝書店、柳田國男の『母の手毬歌(1948年)』と佐藤春夫の『蝗の大旅行(1950年)』)が置かれた。窓側の小さな机には、先述した東郷青児の雑誌と夢二の本、さらには藤田嗣治の図録がそれぞれ中川さんの作品と並べられた。その下には、5冊ほどの『日本児童文庫(先述夢二の本と同じシリーズ)』が赤い背表紙をこちらに向けて斜めに立てられていた。堂々としたその立ち方は、まるで欧州の稀覯書店でよく飾られるような展示の仕方で、見るたびに喜びがこみあげた。床の間と反対側の壁に置かれた小さな台の上には、フランスパンの作品が本物と並べられた。さらには畳の床にはバナナも。

展覧会より。中川さんの刺繍彫刻の本もページをめくることが出来る。
展覧会より。中川さんの刺繍彫刻の本もページをめくることが出来る。

そして、大きな机の上一面に40冊ほど、表紙を上に向けて並べられた弊店在庫の『小学生全集(興文社 文藝春秋社、昭和初期刊行)』。この全集は、杉浦非水など、数々の有名無名重要作家たちが挿画を手掛けているので、昭和初期の日本のイラストを一望できるかのような眺め。さらにその間に間に、中川さんの作品が。その一つはまた本の姿だ。緑色のクロス装らしく作られ、背に「檸檬」と標題が刻印されている。その上に置かれたのは檸檬をかたどった作品。言うまでもなく、梶井基次郎の有名な短編を連想させる仕掛け。しかしその本は、実際の本をもとに作られたのではなく架空の本である。河出書房の『世界文学全集』(デカメロンの巻、昭和45年)と1894年刊行の『サロメ』英訳版の初版(ビアズレーの挿絵入り、Elkin Mathews & John Lane)をもとにして創作されたという。

大きな机の上の『小学生全集』と『檸檬』の展示。
大きな机の上の『小学生全集』と『檸檬』の展示。

そんな中川さんへのオマージュとして、私が選んだのは、ヨーハン・ヴィルヘルム・ヴァインマン『薬用植物図譜』(1737~45年)のチューリップ図と、フリードリッヒ・ベルトゥーフの『子供のための絵入り図鑑』(1790~1830年)よりサソリやクモの図譜。前者は、日本で最初の植物図鑑と言われる『本草図譜』に横向きで写されたもの、後者はドイツ17世紀の先駆的な女性博物学者マリア・ジビラ・メリアンの図譜から写されたと考えられるもの。額に入れて壁に飾っていただいた。歴史的にも「写し」と本の関係は深い。複製品でありながら、限定的に手仕事的に作られてきた側面もある本という不思議な存在。新しいものを生み出す作家さんとその感覚を共有できて、とても嬉しかった。

『日本児童文庫』の展示。上段右、二冊のうち左側は中川さんの作品。
『日本児童文庫』の展示。上段右、二冊のうち左側は中川さんの作品。

 

2023年12月31日