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「あー!おまえ!」

土器 修三(イラストレーター)
1972年~1974年在籍

僕は小倉の高校を卒業した春にセツモードセミナーに入学した。姉もセツに通っていたのでどんな学校なのかという話をよく聞いていたのだ。セツに通ったのはたった2年間のこと。節先生と深く交わったわけでもない。どちらかと言うと不良生徒に分類される。

それなのに節先生のこと、セツモードのことは僕の人生のベースの所でずっと生きていたような気がする。セツで学んだことが「自由に生きてもいい」ということだったからだろう。自己責任の自由。野垂死にする自由も含めて、自由におやんなさい。セツモードはそんな卒業生を毎年、毎年、世に放っていたんだなー。きっと就職率は恐ろしく低いに違いない。僕は九州から上京してまっすぐセツモードだったから「これが東京かー」と何でも受け入れて順応していったが、後から考えると、そんな所は東京でもセツモードだけだったのだ。

節先生は生徒たちがデッサンをしている教室にフラリと現れ、モデルを見つめ、サラリと卓越したデッサンを描いてボードに貼っていく。僕はそんな時は先生のすぐそばで同じ角度からモデルを見て描いた。ボードに貼られた先生の絵と、同じ角度から描いた自分の絵を比較してその差に愕然とする。どうしてこんな絵が描けるのか、その秘密が知りたくて、モデルを見るのではなく,先生の絵を見てコソコソと真似て描いていたことがある。

「あー!おまえ!」と先生に見つかってしまった。叱られるのかと思ったら「いいことやってんだから堂々とやんな。」と背中を押されてボードの正面に連れて行かれた。
それまで住んでいた世界とは違うチャンネルにカチャンと変わる。そんな小さなことが積み重なり、「セツ出身」と呼ばれる人はそれらしくなっていく。

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  1. T・N より:

    野垂れ死にする自由。それがセツの醍醐味だよね。どれだけの生徒が、それを理解したんだろう?

  2. 清美 より:

    土器君、同じクラスの清美です。覚えていてくれてるかなぁ、私は土岐君の紹介のアルバイトで、新人歌手のレコードを何枚も買うお手伝いさせてもらいました。
    せつの帰りに代官山のトムズサンドとかもいきましたね。懐かしいです。セツ先生の「なんだ!お前」は今も耳に残っています。

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