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水彩画の授業①

浅妻 健司(イラストレーター・デザイナー)
1995年~2000年在籍

セツモードセミナーに通い始めたのは、専門学校を卒業した、20歳の秋だった。
 当時のセツはクジ引きで入学の可否を決めていた。銭湯の下駄箱の鍵についているような、プラスチック製の楕円の札を引いて、番号が書いてあれば合格、なければ不合格。倍率が何倍だったかは知らないが、入学希望者は多く、行列になっていた。
 僕の番がきて、札を引く。番号がない。ガーン、落選だ。がっくりしながら係の人に札を渡すと、何故か「合格ですねー」と言われた。なんで? と疑問に思ってたら裏面に番号が書いてあった。ほっとした。

セツは、午前、午後、夜間の3部に分かれていて、僕は午前部に入った。授業は石膏デッサン、人物クロッキー、水彩の授業などがあった。時々、卒業生のイラストレーターの方が来て、レクチャーがある以外、座学はなく、それぞれが、ただひたすら絵を描くというスタイルだった。それに対して、何も教えてくれないと、不満を言って辞める人もいた。でも勉強嫌いで、マイペースな僕は、むしろこれが気に入った。セツ先生が講評の時だかに、近くにいた学生に向かって、「お前、真面目に学校に通って馬鹿みたい。プーッ」と、校長先生としては、衝撃的なことを言っていたことがあった。ある時には「ここは絵を描く仲間を作る場所だからね」と言っていたこともある。およそ学校とは思えない自由な雰囲気で、僕にとっては、いごこちが良かった。

僕が好きだったのは、水彩の授業だった。水彩の授業は二つのフロアに、それぞれモデルがいて、気に入った方で絵を描く。時間に遅れていくとモデルさんに近い、良い場所は選べない。でも僕は後ろの方に陣取るようにしていた。後ろからだと、他の人がどんな絵を描いているかが見える。それを見るのが好きだった。

(つづく)

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